信 濃 の 国・・・・・141 

ちよみ

2009年08月25日 23:26

~ 今 日 の 雑 感 ~


信 濃 の 国



    もしも、あなたが、長野県外から県内へ移り住み、新しく事業を興そうと考えておられるのなら、その第一歩として、長野県の県歌である、「信濃の国」を、六番まですべて歌えるようになることをお勧めします。

    事務所内に、この県歌の歌詞を額に入れて飾っておくこともよいでしょう。歌詞には、英語バージョンもあります。

    お得意さんを開拓する時などの飲み会の席で、これを一番でも二番でも披露できたら、もう、商談は50パーセントは成立したも同然だという営業マンさんもおられるくらいです。

    それだけ、「信濃の国」は、長野県民にとってなくてはならない重要な歌なのです。

    しかし、ここで、一つ大切なことは、決して「信濃の国」の発音の仕方を、間違えてはいけないということです。県外の人は、これを発音する時、「* ・ .. ..」と、発音しますが、長野県民は、「.・・ ...」と、発音するのです。これを間違えると、露骨に眉をひそめられます。
    


    では、長野県民は、どうしてここまで、県歌を愛するのか------。それを、お話ししましょう。



 

    「信濃の国」という歌が正式に県歌となったのは、1968年(昭和43年)5月20日のことで、県歌としては、まだ誕生して間もないということを初めて知りました。

    わたしは、この「信濃の国」は、既に一世紀以上も前から長野県民に歌い継がれてきたものと聞いていましたから、その頃から県歌となっていたのかと思っていたのです。

    「信濃の国」は、長野師範学校の国語教師の浅井洌(きよし)が、信濃教育会の唱歌制作の依頼を受けて1899年(明治32年)に作詞し、同校の音楽教師の北村季晴(すえはる)が、翌年に曲をつけて完成したものでした。

    しかし、実は、その前に別の作曲者が曲をつけていたのですが、あまり曲調が古風だったために、ほとんど歌われなかったのだそうです。わたしも、その以前の曲のバージョンを一度聴いたことがありましたが、確かに、単調な音階がつながるご詠歌のような感じで、とても、当時の子供たちが喜んで歌うようなものには思えませんでした。

    「信濃の国」という県歌は、長野県民の八、九割が知っている、また、一、二番の歌詞ならば空で歌うことが出来るという、実に、特殊な知名度を持つ歌です。このように県民がこぞって空で歌うことが出来る県歌を持っている県民は、国内では、おそらく長野県民だけではないかと思います。

    わたしも、この「信濃の国」は、好きな歌の一つで、二人の甥が小さい時からこの歌詞を紙に書いて、ピアノで伴奏しては教えていました。その理由の一つに、この県歌が歌えると、長野県の特産品や地理、有名な人物、歴史上の出来事などなどが、一度に覚えられるという利点があります。

    また、歌詞の言葉の一つ一つがとても的確で、小気味よく、ポジティブなうえに、美しさまでも加味しているという理由もあります。そして、何より、曲の素晴らしさと巧みさには、脱帽の感すら持つのです。

    殊に、四番のメロディーが変わる部分などは、しっかりと音楽教育的視点までも考慮した、驚くべき技巧といわざるを得ません。

    長野冬季オリンピックの際には、入場行進にまでも使われ、正に、世界の「信濃の国」になった訳です。

    これをテレビで観ていた各国の県人会の方たちは、あまりの郷愁と誇りに、思わず涙したとも言われています。

    これは、以前、あるブロガーさんのコメント欄にも書かせて頂いたことですが、子供の頃からこの「信濃の国」を聴かされている県民の脳は、この歌を聴いている時に、どうなっているのか、脳波を調べた結果、モーツァルトなどの一般に癒しのメロディーといわれている曲を聴いた時よりも、「信濃の国」を聴いている時の方が、(リラックスしたり快感を感じている時に多出する)アルファー派が、より多く出ているということが判ったそうです。

    つまり、「信濃の国」は、多くの長野県民にとって、間違いなく「心の故郷」といっても過言ではないのでしょう。

    国会などでは、近年、道州制の議論なども巻き起こっているやに聞きますが、わたしは個人的には、信州は、やはり信州のままでいてもよいのではないかと思います。そうなると、「信濃の国」は、州歌ということになるのでしょうね。

    他の県と統合して、この県歌が歌われなくなってしまうのは、如何にも寂しく、もったいないと思うのです。

    わたしは、以前、アメリカに行った時、「どちらから来られたのですか?」と、ホテルの従業員に訊ねられて、即行、「長野です」と、答えました。極端な話、わたしの頭の中には、「日本」という概念はありませんでした。その従業員の方も、それで、判ってくれました。

    わたしの中では、「自分は日本人だ」という気持ちよりも、「信州人だ」という気持ちの方が強いことを、意識しています。

    わたしのような考えを持っている長野県民は、多いのではないでしょうか?そういう意味からすると、「信濃の国」という県歌は、今や、文字通り「信濃の国」の国歌なのだと、いえるのかもしれません。
<今日のおまけ>

    年配の人たちは、どうしてこうも自分の話ばかりをしたがるのだろうかと、思うことが最近よくある。

    昨日、八十代の男性と、七十代後半の女性と三人で話をする機会があった。わたしは、その人たちに、あることについて訊きたいと思い、そこを訪ねたのだが、わたしが腰掛けるや否や、二人は、てんでに違う話題で話を始めてしまい、こちらの言うことなど全く聞こうとしない。

    わたしが、それとなく、こちらの訊ねたいことに話題を向けようとしても、完全に無視なのである。それならば、せめて、どちらか一人の話に話題を統一して欲しいといっても、お互いに譲ろうとせず、一瞬は、男性の方に主導権を渡したように見えた女性も、男性が息継ぎをした瞬間を逃さず、自分の話題を弾丸のようにしゃべり始めてしまうのだ。

    しかし、男性の方も、わたしの顔をじっと見たまま、女性の話など完全無視で、自分の話を淡々と続ける。全く共通性のない二つの話を、同時に聞かねばならないわたしは、何だかさっぱり判らなくなってしまった。

    そこで、もう一度、男性の方の話を先に聞くというふりをして、男性の方を向いて頷いていると、いきなり、女性が身体をぶるぶると震わせ始めたのである。もう、しゃべりたくてしゃべりたくて仕方がない思いが高じて、そんな風になってしまったのだった。

    でも、二人の話は、正直、どうでもいいような他愛もない世間話なのである。それでも、誰かに聞いてもらいたいのだ。もう、そこには、相手に対する遠慮や奥ゆかしさなど、ほとんど存在せず、二人とも、必死の形相である。

    男性の方など、今にも入れ歯が飛び出しそうな勢いで、話し立てるので、もう、これ以上そこにいても仕方がないと思ったわたしが、「今日は、これで-----」と、立ち上がっても、二人は、まだ、話をやめようとせず、結局、振り切って出て来てしまうことになったのである。

    いったい、これは、どういうことなのであろうか?それほどまでに、他人に話をしたいという願望が強いというのは、老人特有の寂しさから来ているのだろうか?では、老人同士では、そういう話はどうしているのかと思えば、ほとんど会話らしい会話はないというのである。

    帰り際、その男性が言った言葉が、何となく、胸に引っ掛かった。

    「おれは、ジジイじゃねぇ。年寄りなんかと、話が出来るか!」



    ところで、今日、この夏初めて、スイカを食べました。やっぱり、夏は、これを食べておかないと、何か忘れたような感じですよね。でも、スイカって、本当に不思議な食べ物で、お盆が過ぎると、急に食べたくなくなってしまうんです。秋風には似合わない果物なんですかね~。日本人のDNAって、実に、微妙ですね。 




  
関連記事