捜査本部は、うち?・・・・・132

ちよみ

2009年08月17日 23:17

~ 今 日 の 雑 感 ~


捜査本部は、うち?(・・?


    これは、もう、かなり以前になりますが、我が家のすぐ近にあった無人の小屋が、全焼するという火事がありました。

    この小屋は昭和の初めに建てられたもので、古いうえに、もう何年も前から空き家になり、その頃は、不良少年たちの溜まり場にもなっていたのでした。

    わたしが家にいると、何となく辺りが煙ったくなって来て、きな臭いにおいが充満し始めました。これは、変だと思い、家から外へ飛び出すと、道路を少し下ったところにあるその小屋が、もの凄い炎と真っ黒な煙を噴き上げて、燃え盛っているのを発見。

    やがて、近所中の人たちが外へ出て来て大騒ぎとなりました。そのうちに、何台もの消防車が駆け付け、町の消防団の人たちも集まって来ると、いっせいに消火活動を始め、小屋は全焼したものの、怪我人が出ることもなく、約三十分ほどで鎮火しました。

    しかし、問題は、この無人の小屋から、何故火が出たのかということでした。地元の警察署は、これを放火と断定し、消防車が去るのと入れ違いに、今度は数台の警察車両が乗り付け、即座に現場保存。捜査関係者による、近所への聞き込みが始まりました。

    「不審な人間が、小屋の中へ入るのを見ませんでしたか?」

    「日頃、小屋は、どういう状態だったんですか?」

    特に、第一発見者の近所の主婦は、そうとう根掘り葉掘り事情を訊ねられていました。そうこうする間に、夕方になり、辺りが暗くなりかけて来た時、一人の年配の捜査員が、我が家へ入って来て、父に、話を聞きたいと、言いながら、事務室のソファーに腰を下ろしたのです。

    そして、父は、その捜査員と世間話を始めました。お茶を飲みながら、色々と話をしていると、今度は、そこへ別の若い捜査員が入って来て、何やら先の捜査員と耳打ちを始めましたので、父は、そこから奥の居間へ移動しました。

    すると、次には、また別の捜査員たちが二人ほど合流し、会議を始めてしまったのです。

    母は、彼らに、お茶を出しながら、「ご苦労さまです」と、挨拶をすると、先に入って来た捜査員が、

    「すみません。少し、ここをお借りしたいのですが------」

    と、頼むので、母が、どうぞお使い下さいと、答え、すると、捜査員は携帯を取り出し、こう相手に伝えました。
   
    「〇〇さんのお宅に集合してくれ」

    え?-----ここが、捜査本部?マジっすか~!?    

    いつしか、他にも制服の警察官なども加わって、ちょっとした捜査会議が始まってしまったのです。

    当時、父は、地元の防犯協会の会長などもやっていたので、警察関係者が顔を出すことはさほど珍しいことではなかったのですが、これほどの人数の刑事さんやお巡りさんが顔を寄せ合って話し込む様子は、初めて見ました。



    -------で、肝心の放火犯人ですが、後日聞いたことによりますと、どうやら、近隣に住む中学生のいたずらだったことが判りました。その頃、近くの市や村でも不審火が相次いでいたため、警察も、力を入れて捜査をしていたようです。 

    しかし、この火事は、その一連の不審火とは、関係がなかったようでした。

    
    

    
<今日のおまけ>

    先日、テレビを観ていたら、怒りや欲求をコントロールしたり、自分の気持ちにブレーキをかける理性の強さを数値で表したところ、何と、六歳も、六十歳も同じだということが判ったと、報じていた。

    と、いうことは、子供だから我慢が出来ないとか、大人だから我慢強いとかいうことは、一概には言えないということなのだそうである。

    それでも、そのブレーキが最もきくであろうと、思われる年代もあり、四、五十代の俗に分別もある大人であろうと、誰もが思いがちだが、それが、あにはからんや、二十五歳がピークなのだという。つまり、それを過ぎると、人間は、自己コントロール能力が、次第に鈍くなって行くものらしいのだ。

    すなわち、この理屈から行くと、年を取るほど、人は我がままで頑固になるということなのである。ちょっとした事にも怒りを覚え、周囲に当たり散らす。老人になると、人は穏やかになるなどということは、単なる幻想だという結論なのであろう。

    故に、年を取るということは、子供に戻るということだ------と、いう言葉も、納得できるのではないだろうか。

    そんなこともあるせいか、病院への入院時アンケートの「あなたの性格は?」の質問項目の答えに、わたしは、躊躇なく「怒りっぽくて、短気」と書いた。

    しかし、そう正直に書いたわたしよりも、「明朗快活」「穏やか」などと記していた高齢者の女性たちの方が、よほど、気短かで、なおかつ喧嘩っ早かったりもした。

    自己評価というものは、実に難しい。自己認識というものは、往々にして、その逆を行くものなのではなかろうかと、思う。
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