人間という厄介な生き物・・・・・221

ちよみ

2009年10月29日 13:07

~ 今 日 の 雑 感 ~


人間という厄介な生き物


    
    人間という生き物には、実に厄介な性質がある。

    それは、「思い込み」と、いうものである。「先入観」と、言ってもいいだろう。

    一番最初に耳に入り、目で見たことを、正しいことと認識してしまう習性があるのだ。これは、若い時よりも年を取るにつれ、その習性はますます顕著に強化されて行く。

    年を経るにつれて、人は、自分のこれまでの経験を重要視するようになるため、自分の考えには間違いがないと、思い込みがちになり、その頑固さが、思考の柔軟性を奪うのである。

    ところが、当の本人は、そのことにまったく気付いてはいない。むしろ、自分は経験を積んだ寛大な心の持ち主だと、とてつもない勘違いをしているのであるから、なおのこと始末が悪い。それなのに、他人に対しては、「もっと、おおらかになれ」とか、「客観的に物事を見てみろ」などと、説教をするため、若い者に敬遠されることになるのである。

    客観的に物事を見ていないのは、自分自身だということに、まったく気が付かない。しかし、他人に対しては、違う視点から物を見ろと、言う。要するに、自分が見えていることだけが、正しい現実だと思い込んでいるせいで、他人の視点が全く理解出来ないのである。

    これは、間違いなく、「精神的老化現象」と、いえよう。

    こういう人間が特に厄介なのは、自分は、弱い者の味方だという、大いなる勘違いを平然としでかす点にある。正義感に裏打ちされた思い違いほど、面倒で、滑稽なものはない。

    たとえば、ある人間がひどい仕打ちを受けたが、そのひどいことをした人間が、された人間の見えないところで何万回謝罪しても、そんなものは謝罪のうちには入らない。しかし、その謝罪を目の当たりにしている思い込み人間は、ひどいことをされた人間に、「あれだけ謝っているのだから、許してやるべきだ」と、いうのだ。

    見えないところで謝罪され、それを間接的に聞かされて、そのことを信じる者がこの世の中にいるだろうか?謝罪とは、やられた者の前に頭を下げて、許しを乞うことである。それ以外に、真の謝罪はない。

    謝りもしない相手を許すということ自体が、おかしな話であるし、それを許さないとしても、心がないという理屈にはならないのが世の中というものである。

    そんな、子供でも判る道理が判らない大人もいるのだ。

    自分が、直に体験したことだけを信じるというのなら、世の中に裁判官などはいらない。検事も弁護士も警察官だって必要がない。直にやられたと思う人間が、やった人間を裁けばいいのである。

    しかし、実際には、そんな単純な考えで、「思い込み」という感覚を主張している訳ではないだろう。そういう「思い込み人間」も、実は、案外、打算的に考えているものなのである。要は、「この人間の言う方が本当は正しいのだろうが、その人間の肩を持っても、何一つ利益にはならない。しかし、間違っているこちらの味方をすれば、徳になる」-----そんな風に考えているに違いないのだ。

    顔も知らない利益ももたらさない相手より、しじゅう何くれとなく贔屓にしてくれる相手の味方をするのは、世俗の摂理であろう。しかし、そんな俗欲を隠すために、「自分には真理がある」などと、綺麗事を言わないで欲しいものだ。

    そういう人は、はっきりとこう言えばいいのである。

    「あなたは、正しい。でも、わたしのためになる人ではない。あの人は、間違っている。でも、わたしに、物をくれるのだ」と----。  
<今日のおまけ>

    あずき味のペブシコーラを飲んでみた。確かに、未知との遭遇的な味がした。しかし、我が弟は、この味が至極気に入ったと見えて、「ペプシ、久々のヒットだ!」と、感激している。

    実の姉弟でも、かなり味覚には差があるようだ。

    わたしは、そのままでは抵抗があったので、ペリエで割って飲んだ。これなら、なかなかイケると思う。

    
    ところで、護衛艦「くらま」が、韓国のコンテナ船と衝突し、炎上事故を起こした。艦首の辺りは、もはや見る影もなく無残にえぐれ破壊されている。戦艦は、艦尾の方に重要な機械類が集まる構造になっているために、艦首部分は比較的軽量に作られているのだそうである。

    旧海軍のトップヘビー構造の千鳥型水雷艇「友鶴(ともづる)」転覆遭難事故の教訓もある。

    原因は韓国船の方にあったようであるが、それにしても、「くらま」側も、回避行動を予め想定することは出来なかったのだろうか?何がなんでも、海上保安庁の指示を仰がねばならないのであろうか?

    マニュアルばかりに洗脳された乗組員は、誰かの命令がなくては身動き一つ取れないというこのなのだろうか?目の前で起きている現実を処理する能力もなく、戦闘行為が実際に出来るのか、実に疑問である。

    事件は、現場で起きているのだ。防衛省の司令部で起きているのではない。
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