「誤解」という言葉の「誤解」・・・・・216
~ 今 日 の 雑 感 ~
「誤解」という言葉の「誤解」
「誤解」という言葉は、変な言葉だ。
「あなたは、『誤解』している」と、言う時、言った相手は、明らかに「誤解」している相手の方を非難している訳である。
しかし、それは、まったく逆だろうと、わたしは思う。悪いのは、相手に「誤解」させるような言動をした本人の方なのであるからだ。
しかし、そういう人間は、押し並べて自分の非に気付かない。あくまでも、勘違いをしている相手が悪いと思い込んでいるのだ。だから、それについての釈明をしようともしない。ただ、相手に謝れと迫るだけである。
要するに、自分が悪臭の発散原因であるにもかかわらず、何処から、その悪臭が出ているのかを一生懸命に探しているという、間抜けさなのである。
言葉というものは、難しい。
もしも、電報に、「シンダイシヤタノム」という言葉があれば、これをどう読むかで、まったく意味が違ってくる。ある人は、「死んだ!(お墓を建てるために) 石屋 頼む」と読むだろうし、ある人は、「死んだ!(死亡診断書が必要なので) 医者 頼む」とも読むだろう。また、ある人は、「(明日は出張なので)寝台車(の切符の手配) 頼む」と、読むかもしれない。
そして、読み間違いがあったとしたら、それは、間違いなく、言葉の区切り方や小文字を支持しなかった、電報の送り手が悪いのである。決して、読み手の責任ではない。
ところが、最近、わたしにも、この「誤解」に関して、「誤解」しているわたしの方に責任があるという主旨の意見を書いたブロガー氏がいた。だから、わたしは、その「誤解」を解くのは、そちらの仕事だと返事を書いた。
しかし、未だに、その人には、わたしの「誤解」を解こうとする気配すらない。要するに、それは、わたしは、「誤解」などしてはいないということの証でもあるということになる。
相手に対して、「それは誤解だ」という時は、必ず、それを言った者が、その「誤解」を解く努力をしない限り、そのことは真実と受け止められても仕方がないことなのではなかろうか。
あの~、わたしの言っていること、判ります?(^◇^)
<今日のおまけ>
よく人は、「あの人はいい人だ」と、言いますが、その言葉は、あまり当てにはならないと思います。
何故なら、その「いい人」は、その人にとっての「いい人」であって、他の人に対してもいい人とは限らないからです。例えば、思いやりのある人も、その思いやりに偏りがあれば、その思いやりは他の人にとっては悪意にもなるからです。
皆さんは、こういう話を聞くことがあると思いますが、年頃の女性に、「あなたの理想の男性は?」と、質問したとします。女性は、必ずと言っていいほど、「優しい人」と、言うでしょう。でも、この「優しい人」という言葉はくせ者でして、それは、「その女性にとっての優しい人」であって、「お姑や小姑、職場の女性などにとっての優しい人」ではないのです。
どうも、この違いを判っていない人が多いのです。ですから、もしも、あなたが、「あの人は、とてもいい人だ」と、言う時は、この言葉を付け加えて下さい。
「でも、わたしにとっては、だけどね」
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