幻滅すれば、それで終わり・・・・・220

ちよみ

2009年10月28日 12:31

~ 今 日 の 雑 感 ~


幻滅すれば、それで終わり


    なんだか、最近、やたらに面倒くさいことばかりが多い。

    やらなくてはならないことが多すぎて、煩わしい。

    だから、こんなことばかりをしていていいのか?-----と、いつも自問自答している。ブログを書くことは、さほど苦にもならないが、そこに付随する様々なことも、何とも煩わしい。

    あるブロガーに対しての自分の正直な気持ちをブログに書けば、「そういうことは本編に書かず、直接相手のコメント欄に書くのが常識だ」と、言われ、今度そうすると、「そんなことをコメント欄に書くのは非常識だ」と、また別の人間が言う。

    本当に、ブロガーという人種はいい加減で自分勝手で、鼻もちならない人間が多い。

    自分の率直な意見が書けず、なれあいやもたれ合いしか出来ないのだとしたら、それこそ、ブログなどやめてしまえばいいのだ。わざわざ面倒な文章など書かずとも、メル友にでもなった方が手っ取り早いではないか。

    そういうブロガーは、論理に弱い。理詰めで話をされると、それをすべて喧嘩腰と捉え、すぐに感情的になる。

    わたしは、父親の影響もあってか、家族がケンカをした時も、常にケンカの理由を客観的に分析し、説明が出来ないと、どんなに相手の理由が理不尽なことでも、負けとなってしまうという方法で育った。だから、弟とケンカになると、お互いに最終弁論(爆)を戦わせ、父親が判決を下すというような教育であった。(かなり、変わってはいる)

    だから、感情論を持ち出す人間は、特に苦手なのだ。 

    「気にするな」と、言ってくれる人の言葉は、とてもありがたいし、顔も知らない人間たちのことで振り回されるなんて、まったく馬鹿げていると思う。

    だから、もはや、そういうことは考えないようにした。(ただ、相手が再び頭をもたげた時は、そういう訳にも行かないが)

    もともと、見ず知らずの人々なのだから、知らないままでよい訳だ。知らなかったことにすれば、簡単なことである。

    そんな下らないことで、足踏みをしている訳にはいかない。人間には、時間がないのだ。生きるか死ぬかを味わった人間でなければ、こんな気持ちは判らないだろう。

    また、二度言って判らない者には、三度は言わない。(そういう人間は、もともと判ろうとする気がないか、判りたくないと思っているのだから、たとえ百回説明しても判る訳がないのだ)

    よく「来るものは拒まず、去るものは追わず」と、言うが、わたしの場合は、「来るものは選ぶし、去るものは消去」だな。

    しかも、性格上、気に食わないものは、目の前から完全に除去しなければ気が治まらない方だから、虫の卵などを見付けた時も、単に捨てればよいのではなく、踏みつぶしてしまわなければ気がすまない。

    面倒くさいことも、回避ではなく、やっつけて行かなければ気がすまないのだ。だから、しつこいことこの上ない。やられたことは、絶対に忘れないし、許そうとも思わない。でも、その面倒くささに飽きが来た時は、サッサと自ら消える。実に、判りやすい性格だと、我れながら思う。

    要するに、興味が失せれば、それまでなのだ。
    幻滅すれば、それで終わり。


    このブログも、何処まで幻滅ぜずに続けられるか?-----次の、新しい発見に期待するしかないだろうな。


    ところで、ここしばらくの間に、「しがらみ」「お気に入り欄」を、整理させて頂きました。「ああ、やっぱり当然だ」と、思って下さる方も多いと存じます。とにかく、今のわたしにとって、大なり小なり、ストレスは大敵なのです。ですから、まず視覚から、原因を取り去るしかありませんので、ご了承下さい。

          
<今日のおまけ>

    最近、あまりピアノを弾いていなかったので、久しぶりに弾いてみた。やはり、指が思うように動かない。何年か前までは、難なく弾けた曲が、どうしてもうまく行かないのだ。

    毎日の鍛錬というものは、大事なものである。これは、よく音大の学生たちがいう言葉だそうだが、「一日練習を休むと、技術の衰えが自分に判り、二日休むと、教授に判り、三日休むと、コンサート会場の聴衆に判る」というものらしい。

    何事も、日々の努力と研鑽が必要ということなのだろう。

    
関連記事