スピリチュアルにはまる人たち・・・・・531

ちよみ

2010年05月08日 16:07

~ 今 日 の 雑 感 ~


スピリチュアルにはまる人たち



    最近、雑誌や新聞などを読んでいると、やたらにスピリチュアルな事柄に影響される人たちが増えていることに驚きます。

    まあ、昔から言われていることですが、世の中の景気が悪くなると、精神世界に救済を求める人たちが多くなるそうですが、わたしは、そういうものには全く懐疑的----と、いうか、信じない方なのです。

    不思議な話や因縁めいた話は好きですが、それはあくまでも、物語を読むような興味としてでして、本心からそういうものにのめり込む人の神経は、どうにも理解しかねるのです。

    実は、こんな話をすると、皆さん「ゲゲッ」と思われるかもしれませんが、わたしの伯母の一人は地元ではそこそこ有名なそういう関係の人間なのです。

    しかし、そういう伯母の祈祷を受けようと思うという人に、わたしは言います。

    「そんな馬鹿げていることを信じるのはやめなさい。自分で判断できないことが他人に判るわけがないのだから、お告げだとか、神の啓示だとか、奇跡だとか、アホくさい!」

    確かに、精神にも肉体にも前世も来世もあるでしょう。しかし、そういうことは、あって当たり前なのです。

    だって、人間は木の股から生まれて来た訳ではないのですから、肉体としての生物細胞にDNA的なつながりがあるとすれば、そこに組み込まれている遺伝子の記憶が、何世代かのちに現われても少しも不思議なことではないのです。

    (こんなことは、誰に教わらなくとも、皆さん既にご存知ですよね)

    ある説では地球人の祖先である生命体の起源は、火星からやって来たということでもあるのですから、人類には解明できない超自然的な力も、決して科学的に説明のつかないものではないのだと、わたしは考えます。

    それを如何にも不思議な力が自分には宿っているというようなことを平然と公言する人がいますが、なんだかな~~と、思ってしまうのです。

    こんなことを言うと、有識者の方たちには笑われてしまうかもしれませんが、地球上に出現するあらゆる病気は、必ず地球上に存在する物質で治すことが出来るはずだと、わたしは思うのです。

    よく「気」について話す人もいますが、この「気」というものも、人には皆備わっているものだそうです。ただ、それを強める訓練をしないために、衰えているだけだそうなのです。

    人間に、もしも犬のような臭覚や聴覚、筋力などが備わっていたとしたら、たぶん寿命も今の三分の一しかないだろうということです。つまり、長寿を手に入れるために、人は、あらゆる恵まれた機能を捨てて来たというのです。

    どうして、わたしの人生はこんなにも波乱万丈なのだろうと、嘆く人は、一言「欲を捨てる」これで解決するのです。

    わたしの伯母のところへ相談に来る人たちの多くが、「~~したいのに出来ない」「~~して欲しいのにならない」と、いうようなことばかりです。中に一人でも、「~~したくないのに、なってしまうんです」と、いう人は、ほとんどいないとのことです。

    「わたしは、男性にモテたくないのにモテてモテて困るんです。嫌われるにはどうしたらいいでしょうか?」なんて、相談する人はまずいないそうです。 

    それでも、欲を捨てられない人の弱みに付け込んで自分を信じ込ませようとするようなスピリチュアルなど、わたしは、信用しません。もし、そういうことをしたいのなら、お金など取らないことです。物を買わせるようなことはしないことです。

    スピリチュアルを武器に使う人たちは、徹頭徹尾、無報酬で行なうべきだと思うのです。


    ***    このブログ記事は、5月6日に書きました。

    
<今日のおまけ>

    ある研究者が、一つの化合物を作るのに七年の歳月を要した。それは、簡単に例えれば、砂糖を先に入れておいてからコーヒーを注いだ方が甘いコーヒーになることに気付くのに七年かかってしまったということなのである。

    しかし、その研究者が、何度実験してもコーヒーを注いだ中へ砂糖を入れ続けていたために、成果が上がらなかったのに、ある時研究室を訪れた彼の婚約者が、「逆をやってみたら」と、言った一言で実験は成功したのだそうである。

    このように、一つのことばかりに没頭している人は、自分の枠からはみ出すことが出来なくなってしまうようである。

    先日の「チームバチスタ 2」を見ていた時、「(患者の)女性歌手が幼い頃に何か大きなけがや病気をしませんでしたか?」と、母親に病歴を訊いているシーンがあったが、肺炎を悪化させている患者の身体には発疹が出ているというのを観たわたしの母は、「はしか、やってなかったんでしょ」と、ドラマの結末を観る前に言いあててしまった。

    何人もの医師たちがそれを調べるために右往左往しているシーンを観ながら、わたしは、何となく上記の研究者の話を思い出して、可笑しかった。
関連記事