~ 今 日 の 雑 感 ~
何故、謙虚になれないのか?
知り合いの女性に、とにかく自惚れの強い人がいます。
その人は、とにかく他人に説教するのが大好きなのです。
そして、自分のやったことをいつも自慢します。
「ほら、あたしの言った通りになったでしょう」
「あたしの言う通りにすれば間違いないのよ」
「あなたの素晴らしいところを、あたしは知っている。だから、こうしなさいね」
「それはダメ。そんな気持ちでいるから職場でもうまく行かないのよ」
「あなたは、もっと素直に人の言うことに耳を傾けなさい。その意地っ張りなところが嫌われる元なのよ」
「あたしを信じていれば、悪いようにはならないから」
これを聞いていると、何かを思い出すのです。
新興宗教の教祖の説教。-----正に、そのものです。
どうして、このような他人に意見をせねば気が済まない人格が出来上がるのでしょうか?
何かしてあげるのなら、黙ってやってあげればいいのです。そして、もしも、その女性の言う通りになった時は、ニッコリ笑って、
「そう、良かったわね。あなた、頑張ったもんね」
これでいいじゃないですか。さも、自慢げに自分が教えたからだという言葉を吐く意味があるのでしょうか?
何かをするなら、もっと謙虚になるべきです。余計な自慢話やお説教はいりません。
もしも、それをして相手からお金を頂くなどという場合は、なおのことです。相手はお客さまなのですから。お客さまを叱るなど、もってのほかです。
人間は、元来他人に何かを教えたいという本能を持つ動物です。それがあったからこそ、人間は、今のような文明社会を築いて来れたのです。
小さな子供たちが、時々、先生ごっこをしている風景を見ることがありますよね。
ものを教える人は偉い人だという認識が、既に二、三歳の子供にも備わっている証拠です。
「大きくなったら何になりたい?」の質問にも、多い答えが「ピアノの先生」「保育園の先生」「学校の先生」「お医者さん」などだと言います。
たぶん、このような女性たちも、そんな小さな頃の思いを未だに捨てきれないのかもしれません。
正直、こういう人たちはハタ迷惑です。わたしは、この女性の自惚れ話を聞きながらいつも心の中で呟きます。
「あんたが話す内容など、こっちは十年も前に知っているわ。知ったかぶりも大概にしろ!」
そうなのです。
嘘でもいいから、「そんなことがあるの?知らなかった~。また、教えてね」ぐらいなことを言ってみて欲しいものです。
でも、こういう女性は、そんなこと口が裂けても言わないでしょうね。自分の無知を認めるなど、生涯の恥だと思っているはずですから。
だから、一度でいいから言ってやりたいです。
「あんたの知識など、何の役にも立たない」と-----。
<今日のおまけ>
わたしも一時期カウンセリングのようなことを勉強してみたいと思ったことがあった。
臨床心理士のような資格も面白いかも・・・・。と、考えたのだ。
しかし、父親の言葉で断念した。その言葉とは。
「お前の一言で、相手の人生が左右されるような仕事に就くのはやめろ。人間は、自分のことは自分にしか判らないものなんだ。もしも、その人に一度アドバイスをしたら、その後は、その人の人生そのものに付き合うことになるんだからな」
それは、怖いと思った。
そんなことまでは計算外であった。
単に、話を聞いて終わりではないのだ。「あの時、あんた、こう言ったでしょ。わたし、それに従ったのに!」などと怒鳴りこまれても対応のしようがない。
わたしには、そんな危険を冒してまで相談にのろうと思うほどの度胸も覚悟もないのだ。