同調できない人・・・・・810
~ 今 日 の 雑 感 ~
同調できない人
人は、自分と正反対の性格の人間に惹かれると言われるが、これは間違いである。
確かに、自分の考え方と違ったり、生きてきた過程の経験が異なると、驚きや感心をもって相手を見るものだが、それを好意や愛情と勘違いをしてしまうと、あとでとんでもないしっぺ返しを食らうことにもなりかねないのである。
驚きや感心、感動と、同情や好意、愛情はまったく別物であることを知っておかねばならない。
それは単なる興味であって、魅了ではないのだ。
人が人を好きになるためには、どうしても共通点が必要なのである。
たとえば、産まれた県や育ち方が違っても、共通の趣味や好きな芸能人がいるだけでお互いに好意を持つこともある。しかし、反対に同じ県出身、同業者といえども趣味も嗜好も違えば、惹かれあうことはほぼないに等しいのだ。
「類は友を呼ぶ」
こういう言葉を聞いたことがあると思うが、正に、共通点を持った者同士は安心感を共有するために、心を許し合いやすいのである。
これに似た言葉に
「戦友の原理」というものがあるという。
これは、同じ戦場で共通の敵を相手に戦った者同士が、固いきずなで結ばれるという論理である。
つまり、そういう人間同士は、言葉などなくともお互いの空気を感じ取るだけで、一緒にいて楽しかったり心が落ち着くのである。
(ただ、この「戦友の原理」は、時に大誤算を引き起こすこともある。それは、恋愛においてである。周囲から反対されればされるほど二人だけは盛り上がるといういカップルがよくいるが、周囲が彼らを認めた途端、お互いに興味をなくして別れるということも多いのだ。二人にとって共通の敵が必要な恋愛など、真の恋愛ではないことを覚えておこう)
いかし、反対にどうしても同調できないという者同士もいる。
どれほど言葉数多く語り合っても、互いの波長がまったくと言っていいほど噛み合わない者同士もいるのだ。
そういう人と話をしていると、こちらが懸命に同調性を探ろうとしても、爪の引っかかる余地すらないことを実感できる。
そういう感覚が如実に判るのは、こちらが相手を理解しようと頑張っても、相手の方は自分を理解して欲しいということばかりをこちらに押し付け、こちらのことをほとんど知ろうとしない場合である。
要は、心のキャッチボールが出来ないのである。
そして、あとになって、何かのきっかけにこちらの気持ちを知った途端、「そんなことを考えていたとはがっかりだ」などと、勝手なことを言うのである。こういう人とは、決して同調など出来はしない。
そういう人にあえて言いたい。
もう少し、他人の話に耳を傾けなさいと----。
自分の主張ばかりを押し付けるのではなく、相手の話をじっくりと腰を据えて黙って聞きなさいと----。
そうしなければ、真の意味であなたを理解してくれる人など、一生かかっても現われはしないのである。
<今日のおまけ>
初対面でも同じ病気にかかったことがあるとか、同じ頃共にアメリカにいたとか、そんなささいな共通の経験があるだけでも、心が和むことがある。
「この人なら、きっと判ってくれるだろう」と、いう安心感があるからだ。
手術をしてもらった医師に患者がそうした安心感を抱きやすいのも、病気という共通の敵に対して共に戦っているという気持ちを共有できるからなのかもしれない。
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