混ざり合う記憶・・・・・884
~ 今 日 の 雑 感 ~
混ざり合う記憶
人の記憶ほど曖昧なものはない。
「思い込み」ということは、よくある話で、実際は別々の場所や日にちに起きたことが、一年も経つと一つの出来事のように思い込んでしまうというのも、珍しくはない。
わたしの知り合いに、アメリカの独立戦争と南北戦争がごっちゃになっていて、未だに同じことだと認識している者もいる。まあ、これは、単に世界史の勉強不足だと言われても仕方がないのだが、自分にとってあまり関係がない出来事については、殊にこういう記憶の混同が起きやすいのである。
もっと、すごい記憶の混同に、他人の記憶を自分の物として認識してしまうという場合もある。
こういうすさまじい記憶の混同を起こすのは、血液型B型の人に多い。
B型は一点集中型といい、一つのことに対しては極めて強い集中力を発揮するタイプなのだが、相手の話にあまりに集中し過ぎて、その話の内容があたかも自分自身が体験したことのように錯覚してしまうことがあるのだ。
わたしの伯母がこの典型で、野沢温泉に行った伯父の記憶を、しっかり自分自身の記憶だと思い込んでしまっていたことがあった。たぶん、伯父が話したことを自分の体験として受け止めてしまったのだと思うのだが、雪が降っていたことや朝食でバイキング料理を食べたことなど、実に詳細に説明するので、
「伯母さんも、伯父さんと一緒に行ったの?」
と、わたしが訊ねたところ、「行ったような気がする」というので、泊まったホテルは何処で、どんな部屋だったのかと更に訊ねると、そこの記憶はあいまいで、結局自分自身は行っていなかったことが判明した。
それにしても、何故、こんな記憶の混同が起きてしまうのだろうか?
心理学者のフレデリック・バートレットは、人の記憶には矛盾や不可解なことが多くあることから、「
記憶再構成説」を唱え、
記憶はよみがえるのではなく、再構成されるのだと考えたのである。
では、記憶はどうして変わってしまうのか?
心理学者のロフタスは、こんな実験をした。
大学生を二つのグループに分け、自動車事故の光景が移っている短い映画を観せたのち、違った言い方で質問をしたのである。
Aグループ 「フィルムに映っていた自動車は、ぶつかった瞬間、どのくらいのスピードを出していたと思うか?」
Bグループ 「フィルムに映っていた自動車は、激突した瞬間、どのくらいのスピードを出していたと思うか?」
すると、両グループとも観ていた映像は同じにもかかわらず、Bグループの学生たちの方が、Aグループの学生たちに比べて、自動車のスピードをより速いものと認識していたことが判った。
つまり、「ぶつかる」という言葉よりも、「激突」という言葉の方に、学生たちはよりスピードを感じていたことが判ったのだ。
また、それから一週間後、「映像の中でガラスの破片が飛び散っているのを観たか?」と質問したところ、Bグループの学生たちの中に「観た」と答えた者が多かった。映像にはガラスの破片など映っていなかったにもかかわらずである。
これにより、記憶には、最初に与えられたインパクトだけで構築される一次情報と、その後、色々なシチュエーションにより提供された諸々のインパクトによって形作られて行く二次情報があることが判るのだ。
二つの情報は時間の経過に合わせて次第に混ざり合い、元からあった記憶として、すり替わってしまうのである。
しかも、人には、自分に都合が悪い記憶は無意識に美化したり忘れたりする傾向があるので、同じ体験でも人によってあからさまな記憶違いということも起きるのである。
<今日のおまけ>
明治維新の頃、鹿鳴館という大日本帝国政府が造った公的社交場があった。
日本が欧米に肩を並べるためには、教養も知識もある国民だということを諸外国に示す必要があると考えて、政府要人や華族の貴婦人たちが、外国人賓客をもてなすために夜な夜なパーティーを開いた訳であるが、その実情は、かなり悲惨なものだったらしい。
洋食のマナーなど知らない多くの日本人は、ナイフとフォークの使い方も判らず、酒を飲み過ぎた男性の中には、客である外国人女性を芸者とでも勘違いしたのか、彼女たちの身体を触る者なども現われる始末。
鹿鳴館の事実上の責任者でもあった外務大臣の井上薫は、あまりの惨状に目を覆うしかなかったそうである。
そんなこんなで鹿鳴館は廃止されたのだが、この頃の日本を知れば知るほど、何処かの国の現状に思いを巡らせたくなる。コンビニで働く女性が嘆いていた。
「お金に物を言わせて何でもできると思ったら大間違いだ。レジを通る前に商品を破くのはやめてほしい!」
ところで、また、「ナガブロ」をしばらくお休みしたいと思いますので、ご了承ください。
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