嫌な記憶は残りにくい・・・・・893
~ 今 日 の 雑 感 ~
嫌な記憶は残りにくい
これは、わたしの伯母の話だが、伯母は、今から十年ほど前にある大きな手術をした。
別に、命にかかわるという病気ではなかったのだが、とにかく、生活がしにくいと言うので思案した揚句、決意したのである。
しかし、手術など出来ればやりたくはないのが人情だから、とにかく、恐怖心が先に立ち、入院当日、その不安と緊張のせいか、物干し台で洗濯物を取り込んでいて階段を踏み外し、50センチほど下の部屋の中へお尻から落ちたのである。
伯母は、あまりの痛さに立ちあがることが出来ず、「入院はしない」と、言いだしたのだが、伯父と娘であるわたしの従姉が必死で説得して病院へ連れて行った。
ところが、病室へ入っても、「腰が痛い、腰が痛い」と訴え続けるので、整形外科でレントゲンを撮ってもらった。が、何処にも異常なし。
翌日、手術室へ入るはずだったのだが、伯母はものすごく太っているところへ持って来て、さらに腰が痛むと言うので、搬送用のベッドへ乗り移ることが出来ずに、その日は手術を断念せざるを得なかった。
仕方なく、それから入院したままで、一週間が経過。
改めて、手術日を決め、ようやく、手術出来たのであった。
その時のことについて、ごく最近になってから伯母と話をしたのだが、何と伯母は、「あの時は、入院した翌日に手術してね」と、言う。わたしが、そうじゃなくて一週間後だったでしょうと、言っても、その一週間のことは、まったく記憶にないようなのだ。
しかし、手術後のことは、克明に記憶しているので、まるで、その一週間だけが記憶からスッポリと抜け落ちているようである。
心理学者のマリーゴールド・リントンは、人の記憶の傾向を調べるために、自分のしたことを喜怒哀楽の強さや刺激的な出来事を、五段階の強弱に分けて書き記し、一ヶ月後にその記憶がどれだけ残っているかを確かめるという実験をした。
すると、楽しいことや自分にとって有益になったことはすんなりと思いだせたのだが、自動車が故障した、苦情を言われたなどの不快な記憶は、思い出すのに時間がかかったという。
つまり、人間は、自分にとって不利だったり不快であったりした記憶は、自然と意識下にしまいこもうとする習性を持っていることが判ったのである。
その逆に、自分にとって嬉しかったり、楽しかったり、快感に結びつく記憶は、繰り返し回想して行くうちに次第に美化され、ドラマティックな出来事として記憶されてしまうことも判ったのだった。
嫌な記憶、不快な記憶を、無意識のうちに封印することで、人間は、自分自身の精神を守ろうとしているのではないかと思われる。
<今日のおまけ>
上の写真は、長野電鉄湯田中駅に隣接する「楓の湯」の足湯です。
冬場は、こうして周囲をビニールシートで覆います。
わたしも、足が動かなかった時、母に付き添ってもらいながら、この足湯を何度も利用しました。
お湯の温度は少し高めですから、初めての人は、入って左側の出湯口の方へは行かず、右側の方へ座った方がいいと思います。
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