気疲れすること
気疲れすること
ちょっと、ぼやかせて頂きたいと思う。
わたしは、他人が飼っているペットの名前を呼ぶ時、異常に気疲れしてしまうのだ。
わたしにとってみれば、犬も猫も鳥もウサギや馬も、同じ動物にしか過ぎないので、名前はすべて呼び捨てにする。
ところが、近頃の愛ペット家たちは、ペットのことを自分の家族同然に思っているので、呼び捨てでは困ると、名前に敬称を付けることを暗に求める風潮があるからだ。
だから、わたしは、そういう面倒くさいことをあえて避けるため、必要以上にペット自慢をする飼い主に対しては極力その話題を持ち出さないように努めている。
犬や猫に「ちゃん」を付けて呼んだり敬語を使うなんて、正直いい大人がすることではないと感じているし、人間同然に動物を扱うのも、子供たちへの教育上良くないとさえ思っている。
そして、こういう記事を書くと、決まって一応抗議のつもりか犬や猫を飼っている一部ブロガーが「足あと」をつけに来るのだが、何故かコメントまでは書き込もうとしない。
つまりは、自分たちのペット愛は行き過ぎだと、反省すべき部分があることを自覚しているのだろう。
とはいえ、わたしの家の近所でペットを飼っている人たちは、その点、実に常識的な対応をしている。
自分の飼い犬や飼い猫を呼び捨てにされても、それは当然だと思っているし、わたしたちも隣家のペットだからと言って無暗に可愛がったりはしない。
怒る時はしっかりと怒るし、苦情があれば飼い主にはっきりと言う。
かつて我が家の駐車場で犬に勝手にフンをさせようとしていた飼い主を、叱りつけたこともあった。
それが動物に対する本来の人間の態度だと思うからだ。
とはいえ、以前も何度も書いて来たことだが、わたし自身は動物が大好きなので、気に入ったペットがアップされているブログは、欠かさずと言っていいほどのぞかせて頂いている。
また、馬に魅せられて馬場へ通ったこともある。
我が家でもかつては、猫を飼い、小鳥に至っては数十羽も飼っていた。
捨て猫を拾って来て育てたこともある。
大学時代は寮生活だったので、捨てられている子猫を見付けても保護できずに悔やんだこともあった。
むろん、他人が我が家の猫や小鳥を呼び捨てにしても、もちろん何とも思わなかった。
いつから、日本人はそういう普通の感覚を忘れてしまったのだろうか?
何とも、奇妙な世の中になったものである。(-_-;)
<今日のおまけ>
生活必需品を買うついでに、サマーカーディガンなるものを買いました。
若い時は、夏にカーディガンなんて冗談じゃない----と、思っていたものですが、つい目に留まって購入。
何となく年を感じてしまいました。
そういえば、高校生の頃、先輩たちは、真夏でも制服の長袖ブラウスに毛糸のカーディガンを着ていましたね。
どんなに暑くても涼しい顔をしてカーディガンを着続けることが、カッコいいと思われていたようです。
わたし自身は、最上級生になっても、そんな真似はしませんでしたし、しっかり半袖ブラウスを着ていました。
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