何故、人は従属したがるのか?
何故、人は従属したがるのか?
最近は、家族や友人から嫌われることを極端に恐れるが故に、相手に盲目的に従属してしまうという人々が何故か増えているという。
誰に何を言われようと、自分は自分だ。これだけは譲れない----という芯が欠如している人が多いのだそうだ。
日本人には、とかく「赤信号、みんなで渡れば怖くない」の性格の人たちが多く、「赤信号、みんなは止まれ、おれ渡る」という覚悟の者が少ないと言われるが、これは、常に、誰かが自分の味方でないと安心して生活が出来ないという心理から来ているともいわれるようである。
あまり内容を詳しくは知らないが、連日報道されている角田被告の絶対君主的暴力と支配に抗えず、命令のままに身内の殺戮を繰り返した人たちも、正に、この恐怖支配から逃れられず、盲目的従属に甘んじた者たちということが出来ると思う。
恐怖支配下においては、そこから逃げ出そうと思えば逃げられる状況にありながらも、支配される側の人間の中に、何故か支配者に気に入られたいという思いが生まれるという状況が起こることが往々にしてあるらしい。
一連の事件の際、親戚から金を借りて来るように命じられたある夫婦が、裸にされたまま道を歩き、親戚宅まで出かけた時も、そのまま逃げ出して警察へ駆け込むなりすることは可能だったはずなのだが、それをせず、親戚に金銭を用立ててもらうと、再び角田被告の待つ家へと取って返したというのであるから、この夫婦も既にそうした心理状態に陥っていたものと思われる。
こうした恐怖支配に対する盲目的従属は、何もこのような大事件に限ったことではない。
身近なところでは、近所の主婦同士のささやかなつるみあいなどにも、同様の兆候は見て取れる。
少しばかり他の主婦よりも強引な性格の主婦がいつの間にか主婦同士のリーダー役となり、いつしか彼女の決断や指示なしでは、他の主婦たちは何一つ自分の気持ちで物事を決められなくなってしまうということもあり得るのだ。
そのリーダー的存在の主婦が夫の転勤か何かでその土地を離れたとして、残された主婦たちに、
「どうして、あんな女性の言いなりに行動していたのか?」
と、訊ねたとする。すると、その答えは、おそらく、
「何故だか判らない。彼女に反対して、仲間外れにされることが怖かったからかしら・・・」
というものになるだろう。仲間外れにされることが怖いとは、具体的にいえば、ご近所付き合いや情報交換の外に置かれるのが不安だったということなのだろうが、ご近所付き合いとはそもそも何なのか?身近な情報が入らなくなることが心配ならば、自ら自治体や地区役員に問いただせば済む話ではないだろうか。
自らが率先して動けば、何も仲間外れの状況におびえることなど何処にもないことに気付くはずである。
つまり、自分に自信がない者ほど従属を望みたがるわけで、逆に自信がある者は、支配者の呪縛さえ見えないというのが真のところであろう。
<今日のおまけ>
「大奥~誕生」----初回を観てからというもの、何となく観続けている。
先に放送された映画「大奥~男女逆転」とは明らかに脚本の書き方が違うせいか、時代考証がしっかりしているせいか、はたまた俳優陣の演技が真に迫っているためか、内容そのものは奇想天外、荒唐無稽にもかかわらず、つい引き込まれてしまう。
大奥重臣役の渥美としのりが、一人傍観者的存在として主人公たちを淡々と語り、ストーリー上で視聴者側の居場所を確保する役目を果たしているために、ドラマにも安心感が出て来た。
近年になく面白い時代劇に仕上がっているのではないだろうか。
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