「セカンドオピニオン」の落とし穴

ちよみ

2012年11月06日 17:44

「セカンドオピニオン」の落とし穴



   
    某ブログに、「セカンドオピニオン」についての記述があったので、コメントを書き込もうとしたが、会員以外のコメントは受け付けられないということなので、ここに書くことにした。

    そのブログでは、

    「自分に下された診断結果に疑問がある時、担当医に『別の先生にも診察して頂きたいのですが、紹介状を書いて下さい』と、頼むことが出来る『セカンドオピニオン』を受ける権利は、当然患者誰もが持っているものなのだから、頼まれた医師は、嫌な顔をしたり、『もう自分の知ったことじゃない』などと言って、患者に心理的ストレスを与えてはいけない」

    ということが書かれてあったが、この文章には、もう一つ、患者側からの視点が抜け落ちていた。

    つまり、この文章は、「セカンドオピニオン」を受けたいと思う患者が、自力で何処へでも行けるという前提に立った話なのである。

    たとえ、担当医が「セカンドオピニオン」を承諾し、紹介状を書いてくれたとしても、世の中の患者が、皆、遠くの病院まで行けるわけではないということにまで、記事は触れてはいなかった。

    

    そこで、わたしが書き込もうとしたコメントは、以下の通りである。



    「セカンドオピニオン」に関するご説明は、確かにその通りだと思います。

    しかしながら、一方で、そういう患者の頼みにケチを付ける医師がいる病院へしか診察を頼めない患者が大勢いることも事実です。

    医療関係者の方々は、簡単に「別の病院へ行って下さい」と言われますが、独り暮らしのお年寄りや、経済的な理由で移動にお金がかけられない人、子供がいても気兼ねをして同行を頼めない人、移動するだけの体力がない人は、どうしたらいいのでしょうか?

    現在、がん治療の拠点を信州大学病院へ集約するという構想も進んでいるようですが、北信地方から松本のがんセンターまで通院出来るはずがない---と、心配するお年寄りも少なくありません。

    正に、「医療は誰のものか?」---医療関係者にこそ、そうした患者のための移動手段までもを念頭に入れて、真剣に検討、議論して頂きたいものと、切に希望します。




    わたし自身も、まったく身体が動かず、しかも誰にも通院の付き添いが頼めずに、「別の病院で治療してもらって下さい」と言われても、一度も行けなかった経験がある。

    医師は、簡単に「〇〇病院ならば治せる」と言うが、患者はそれぞれの経済状態や生活環境により、そこまで行けないことの方が多いのだ。

    足が悪いので駅までの行き来が出来ず、タクシーを利用するしかない状況下で、通院だけで一年間に100万円も使ってしまい、「いっそ死んでしまいたい」と、嘆いている女性患者がいるというニュースを観たこともある。

    健康な人には判らないだろうが、身体に病気を抱える身には、体力もともなわず、遠方への移動は物理的にほとんど不可能なのである。

    医療関係者の視点は、そうした患者にとってもっとも不可欠な部分がいつも抜け落ちているのだ。

    「セカンドオピニオン」が重要なことなど、今は、医師も患者も皆周知の事実である。

    医療とは、ただ上っ面だけの専門知識を並べれば事足りる分野ではない。

    傾聴や心理に携わる専門家ならば、問題の本質は、むしろ、その先にあることに気付いて頂きたいものである。



<今日のおまけ>


    「〇〇さんのお宅ですよね~」

    電話に出ると、やけに親しそうな女性の声。

    まるで、こちらのことをずっと前から知っているような感じの馴れ馴れしい話し方に、一瞬「知り合いかな?」と、勘違いするところだった。

    詰まるところは、何かのセールスだったのだが、それにしても、大した演技力だ。

    「いいえ、うちは、必要ありません」と、断わった途端、即電話は切れた。


    で、中国の万里の長城で大雪に見舞われて日本人観光客が遭難したという事故。

    亡くなったのは、やはり60代と70代の人たちだ。

    現地の人でも足を踏み入れないといわれる秘境を、100キロにも渡って歩くツアーだというから驚く。

    この年齢の人たちは、どうしてこんなに体力があるのだろうか?しかも、女性も多いそうだ。

    いったい何がこれほど団塊世代の女性たちを突き動かすのだろう?

    ニュースを観ていて、そちらの方が気になった。
    
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