いいとこめがね

ちよみ

2013年09月29日 21:21

いいとこめがね




    「あまちゃん」----結局、一度も観ず、「半沢直樹」も一度しか観なかった。

    「あまちゃん」からは、「じぇじぇじぇ」という流行語が生まれ、日本列島を席巻したそうだが、それを知ったのも、ごく最近だった。

    かつての「おしん」ブームの際もほとんど観なかったのだが、日本中が沸いているような超有名ドラマに熱狂した経験があまりない。

    そうそう、「家政婦のミタ」とかいうドラマも、観ず仕舞いだった。

    わたしの場合、興味を感じるベクトルが周囲とは少しばかり違うようだ。

    「あまちゃん」が最終回を迎えて、世間では「あまロス」なる現象が起きているとか・・・。

    「あまちゃん」が終わってしまい、寂しさに襲われているというのだから、ドラマが人々の生活に及ぼす影響もバカにならない。

    そういえば、子供の頃近所に、大好きだったアニメが最終回となり毎日泣きくれていた男の子がいた。

    わたしはといえば、その頃は「新選組」に嵌りまくりで、未だにその尾を引きずっている。

    大学時代、主人公の近藤勇を演じていた俳優さんの娘さんと同じクラスになり、しかも席が隣同士と分かった時は、正に「じぇじぇじぇ!!」の心境だった。

    近頃は、あそこまで真剣にのめり込めるドラマには、とんとお目にかかることがなくなった。



    で、話は変わるが、ACのテレビコマーシャル----いつも何か説教じみていて、あまり好感が持てないのだが、小学生が同級生の良いところばかりを見付けようとする「いいとこめがね」のストーリーには、なかなかうまいところを突いたと感心した。

    学校でのいじめ問題にしても、「〇〇さんの何処何処が気に入らない」ということを指摘するよりも、「〇〇さんにもこんな良いところがある」ということを話し合う方が、断然解決方法を見付けやすくなるのではないだろうか。

    いじめる側は、とかく「いじめている自覚はなかった」というような逃げ口上を使う場合があるが、決してそんなことはない。

    いじめる側も、間違いなくいじめているという意識を持っていじめるのである。

    クラスのみんなに、いじめられる子供にも、いじめる側の子供以上に優れている部分があるということに気付くだけの想像力があれば、人はそう簡単に相手をいじめることなど出来はしないものである。

    「いいとこめがね」教育は、そうした現代っ子の想像力欠如を補うある種の訓練にもなるのではないかと、ふと思った。


    

        
<今日のおまけ>


    別居中の父親から月に9万円の仕送りを受けながらも、ピアニストになりたいという夢を描いていた15歳の娘を餓死させてしまった母親がいたり、下校途中で行方不明になった高校生が、自宅からたった400メートルしか離れていない小さな社(やしろ)の中にいるところを、約2ヶ月ぶりに発見されたりと、不可思議な出来事が相次いでいる。

    最近、特に中学生や高校生が巻き込まれる事件や事故が多いような気がするのは、わたしだけだろうか。

    親たちが自分の子供をコントロール出来なくなってきてしまっているように思えてならない。

    今日、我が家に、少し前まで中学校で臨時教師をしていたという50代の女性が来て、「今の親たちは自分の子供に何処か遠慮していて、自身が叱ったせいで子供に嫌われることを恐れるあまり、何もかもを教師に押し付けるきらいがある。そして、子供が思い通りに成長しないと、当の子供はそっちのけで、教師のやり方に対してクレームを付ける」と、話していた。

    つまり、親自身が大人になりきれていない証拠だというのである。

    そんな親の自信のなさを子供たちは敏感に感じ取る。

    なるほど、その反動で、異常に自信過剰な若者たちが増殖している理由も頷ける。


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