< あ る 友 人 の 話 >
今日は、一人のある友人の話をします。その人は、二十代まで陸上自衛隊に所属しており、女性ながら射撃の名手でもありました。しかし、結婚を機に陸自を退官。その後は、北信地方の農家の嫁として、俗に言う舅奉公をしながら、三人の子供たちを育てて来ました。常に明るく社交的なその人は、友人も多く、いろいろなことにチャレンジする気持ちを失わない活発な女性でもありました。わたしよりは年上でしたが、一緒にお茶を飲んだり、手紙や電話のやり取りをするなど、親しくさせて頂きました。
わたしがその人と知り合うきっかけになったのは、長野市にある、さる英会話スクールでした。向上心いっぱいの彼女は、着物の着付けの師範の資格を持ち、今度は、英語検定にも挑戦したいと通って来ていたのです。わたしの動機はといえば、大好きなアメリカ・ハリウッドの映画俳優たちに英語でファンレターを書いたり、観光良好で訪れる外国人に名所の由来などを訊ねられた時に、片言なりとも英語で応対したり、記事の取材で外国人と話をする時に、簡単な会話ぐらいは自分の力で挑戦したいというものでしたので、必要に迫られてという感が強かったのですが、彼女の場合は、自分の可能性を見つけたいという、実にポジティブなものでした。
また、その人は、登山も大好きで、山仲間とよく北アルプスなどへ登り、そこで撮影した山の風景写真を見せて下さったりもしました。そんなある日、英会話スクールの他の生徒さんたちと、彼女もまじえて雑談をしていた時、一人の生徒さんが、その彼女の家族のことを訊いてきたのです。
「〇〇さんは、お子さんいるの?」
すると、彼女は、平然とこう言ったのです。
「ううん、いないわよ」
(---------えっ?)
わたしは、驚きました。何で、そんな嘘を・・・・?疑問に思ったわたしが、後でこっそり彼女に質問してみますと、彼女の答えはこうでした。
「だって、さっき一緒に話をしていた人たちの中に、結婚しても子供さんが出来なくて、病院で治療をしている人がいるのよ。その人は、お姑さんからいつも嫌味を言われていて、辛い思いをしているんですって。テレビコマーシャルなんかで赤ちゃんのシーンが出て来ると、いたたまれずに居間から出てしまうこともあるんだとか。すごく悔しがっているのを聞いていたから・・・・。それに、あたしに子供がいようがいまいが、どうでもいいことでしょ?ここへは、あたしは個人として勉強しに来ているんだから-----」
「------そうだったんですか」
「嘘も方便って言うじゃない。せっかく、みんなで楽しい話をしていたのに、誰かに気まずい思いをさせることないわよ」
「でも、いつか〇〇さんにお子さんがいることが判ったら、どうするんです?」
わたしが訊きますと、
「その時は、その時よ-----」
と、あっけらかんとして笑っていました。こんな思いやりの表し方もあるのだなァと、わたしは、その時、妙に感心してしまったのを覚えています。
その人とは、二人で、奥志賀高原にある『森の音楽堂』へ、クラシックコンサートを聴きに行ったこともありました。その時彼女は、着物姿で、他の観客の方々が黒のタキシードや、イブニングドレスを着ていた中で、とても映えていました。ディナーでは、ワインを頼むと高上がりになるので、二人ともジュースを飲みましたが、とても楽しく充実した時を過ごすことが出来ました。
でも、それからほどなくして、その人は病気になって二ケ月ほど入院されたと聞き、心配していたのですが、元気になったから、お茶でもしましょうよと、いう電話を頂き、またそれから何度か長野市内でお会いしました。善光寺へ行ったり、ショッピングをしたり・・・・。食事の後には、必ず薬を飲まれてはいましたが、顔色もよく以前の彼女と何も変わりません。しかし、ある時、珍しく彼女が、
「実は、何日か前、子供たちと『東京ディズニーランド』へ行って来たの。楽しかったわ・・・・」
と、子供さんたちの話を口にしたのです。
「そうですか、よかったですね」
わたしは、そう何となく答えていたのですが、いつになくはしゃいだように話をする彼女に、少し不思議な感覚を持ってはいました。すると、彼女が、俄にこんな提案をして来たのです。
「ねえ、今度二人で軽井沢へ行ってみない?あたし、一度『旧三笠ホテル』が見てみたいのよね」
「いいですね。行きましょうか-----」
答えたものの、結局その年はわたしもいろいろと忙しく、軽井沢行きはお預けとなってしまいました。そして翌年の元旦、その人から年賀状が届き、
「今年こそ、一緒に軽井沢へ行きましょうね」
と、書かれてありました。
--------が、それから、二ケ月後、その人は、まだ四十七歳という若さで亡くなりました。
あの時、万難を排してでも軽井沢行きを実行すればよかった。わたしの気持ちの中に、今でも、そのことが小さな後悔となって残っています。そして、次第に春の足音が聞こえはじめるこの季節がくると、その人のことを思い出すのです。
写真は、『旧三笠ホテル』と、その客室