ちょっと、一服・・・・・28

ちよみ

2009年05月02日 00:18

~ 今 日 の 雑 感 ~

   
「プライド」って何?


Pride ----- 「プライド」という言葉を広辞苑で引いてみると、「誇り」「自尊心」「自負心」「矜持(きょうじ)」と、出てきます。「自負心」は、自分の才能を誇ること、自惚れ、ですし、「矜持」は、自分の能力を信じて誇ることという、ある種の信念が感じられる言葉です。ところが、「自尊心」に関しては、その言葉の意味の中に、自分の尊厳を意識し、主張して、他人の干渉を排除しようとする心理や態度が入るのであると、広辞苑は記しているのです。

 おそらく、普段わたしたちが何気なく「プライド」という言葉を遣う時は、この「自尊心」の意味をもっとも強く意識しているのではないでしょうか?要するに、「プライド」という言葉の中には、必ず、自己保身の概念が含まれているのです。

 これは、いわゆる「誇り高さ」とは、別の物で、真の「誇り高さ」を持っている人は、たとえ如何なる貧困や没落に窮しても、それを決して恥とは思わず、前向きに、その境遇さえも楽しんでしまうというような、心の強さを有しているのです。しかし、最近は、そうした「誇り高さ」と、根拠の極めて希薄な「自尊心」を、混同している人たちのなんと多いことか・・・・。

 この不況下に、せっかく幸運にも職を得ることが出来たにもかかわらず、上司や同僚の言葉遣いや態度が気に入らないと、一週間ももたずに、その職場を去っていくという若者も多いと聞きます。そういう若者の話を聞いてみますと、たいていにおいて、同じような辞職理由が出て来るのです。

   「ここは、自分のような優秀な人間が務めるような場所ではなかった」
   「自分は、もっと周りから尊敬されてもよいはずなのに、周囲は皆、自分に対して命令口調で、ムカついた」
   「挨拶をしろとか、出社したら社内の掃除をしろとか、自分の能力とは関係がないことばかり上司は要求してくる。自分は、もっとバリバリ働きたいのに、力を過小評価されているようで、腹が立つ」
   「自分は、自分のやっていることが最も正しいと思っているのに、効率の悪いやり方を無理矢理に押し付けられる。あんな頭の悪い連中とこれからずっと付き合っていかなくてはならないなんて、人生を棒に振るようなものだ」


 つまり、彼らには、自信があるのです。それは、ほとんどが根っこのない浮草のような自信なのですが、今まで常に自分を肯定され続けて来た彼らにとって、社会人として生活しなければならない職場は、初めて自分の存在がゼロとして否定されたところから出発する場所でもあるため、その環境の落差に戸惑うのです。

 それでも、大半の若者たちは、一度とことん叩き潰された「プライド」を、日々の仕事の成功や失敗の積み重ねに生き甲斐を見出し、今まで以上に、より強固な「誇り」に変えてステップアップして行くことが出来るのですが、中には、どうしても、それが出来ずに悔しさどころか、怨念までも抱えてしまう人間もいるのです。そうなってしまえば、もやは、事は重大です。

   「同僚と話をしたくない」
   「周りが皆、敵に見える」
   「いつか、あいつらに思い知らせてやりたい・・・・」


 などと、自分を追い詰めて、あげくは会社を辞める破目に-----。

 でも、こういう現象は、何も、若者だけに限ったことではありません。最近は、人生経験も十分に積んだと思われる年配の人たちの間にも、顕著に見られるようになってきました。「自分は、まだ若者に負けない働きが出来るのに、世の中から認められない」「年長者の自分に対して、もっと尊敬の態度をとれ」と、いった貧弱な「プライド」が、巷には溢れ返っているようです。

 失敗しても謝らない。嫌だと思うと、相手の意向など構わずに、平然と拒否をする。自分の意見に反論されると、逆ギレする。常に、言葉が説教調で、いつも上から目線で人を見る。-----思い当たる人もおられるのではないでしょうか? 

 そういう人には、少なくとも、「わたしは、プライドが高い」などという、寝ぼけたことを言っていただきたくないものです。

 「プライド」 ----- この言葉の中には、単なる「自尊心」のように我が身の保身を重視するものだけではなく、「誇り高さ」も含まれているのだということを、もう一度胸に落として、慎重に扱って欲しいものだと思いました。      
 ***写真の「エンジェル」は、特殊加工した石膏に「リトル・エンジェルス」のフレグランスを混ぜ込んで作られている置物で、とてもよい香りがします。もう、かなり以前に購入したものなのですが、未だに甘い香りが消えません。
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