ちょっと、一服・・・・・⑪
< ス キ ー の 話 >
スキーにまつわる小説を書いているので、「スキーは、出来るのか?」と、問われれば、今は全く滑ることはないが、出来ないということはないと、たぶん答えるだろう。初めて、スキーを履いたのは、記憶にない頃だと思うので、そんな幼い時から滑っているのだから、そこそこは人並みに滑ることは出来ると思う。でも、「では、スキーは好きか?」と、聞かれれば、その答えは、七割方「NO!」である。
何故なら、子供の頃のわたしには、スキーに関する楽しい思い出はほとんどないに等しいからだ。小学校低学年の時、クラスメートたちと家の近くの山に出来ていた天然のスキー場へと遊びに行き、日が暮れるのも忘れて滑っていたら、気が付いた時には、他の子供たちは皆帰ってしまっていて、自分一人だけが取り残されていたという、何ともお粗末な思い出があれば、学校行事のスキー教室で、思いっ切り転び、膝をねん挫した手痛い思い出もある。
極めつけは、中学時代の雪中行軍さながらのスキー教室であった。学校から十キロ近くも離れているスキー場まで、学年全員が、何故かバスを使わず、重いスキー板とスキー靴を担いだまま、延々と歩かされたのであるから、目的のスキー場に着いた時には、既に全員が精も根も尽きはててしまい、とてもスキーどころではなくなっていたのだった。
要するに、わたしの中にあるスキー体験は、常に、寒くて、重くて、苦しいというものばかりであった。正直、スキーが楽しいスポーツだなどとは、ついぞ感じたことはなかったのである。
ところが、そんな頑強な思いが、ほんの少しだが変化したのは、大学を卒業した二十代半ばのことであった。学生時代の友人と二人で、志賀高原の熊の湯スキー場へ滑りに行った時のことである。その友人が、その頃スキーを習い始め、わたしと一緒に滑りに行きたいと言うので、同行したのだった。そこで、指導にあたってくれたスキーのインストラクターによる、巨大な壁のような急斜面をいとも簡単に滑降する、物凄いテクニックを目の当たりにした時、「こんな凄いスポーツが、世の中にあるのか?」と、仰天したものである。自分には、逆立ちしても、あのような芸当は出来ないが、その後、ゲレンデを滑るのが、何だかとても楽しくなったのは事実だった。現金なもので、そうなるとスキー場の風景までもが美しく思えて来る。あんなに嫌だった山の景色が、名残惜しくさえなって来るのだから不思議だ。
「いつか、雪山を舞台にした小説でも書いてみようか・・・・」-----そんな気持ちが湧いて来て、それが、今書いている「炎の氷壁」に繋がっているとも言えるのである。まあ、そんなスキー素人も同然の人間の書くものだから、そちらの専門家の方々が見れば、一言物を言いたい場面も多々あろうとは思うが、その点は、何卒、寛大な目でご覧いただきたいと願う次第である。
(今日の文章は、何故か、文語体になってしまったなァ・・・・。(*^_^*)\ )
**引き続き、「炎の氷壁」を、お読みください。
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