仲間と派閥の違いとは?・・・・・65
~ 今 日 の 雑 感 ~
仲間と派閥の違いとは?
「ブログとは、怒りと愚痴の目安箱である」と、言った人がいますが、言い得て妙だと感心します。
わたしも、疑問や憤懣をブログに書きますが、「ナガブロ」も、色々読ませて頂くと、そういう記事を思う存分書いているブロガーさん、たびたび目にします。
皆さん、鬱積した思いを、ブログにぶつけてストレス解消をしていらっしゃるんですね。
ところで、話は変わりますが、皆さんは、「仲間」と、呼ぶことのできる友人を何人お持ちでしょうか?この「仲間」と、いうグループの単位は、意外に難しい要素を持っているように思うのです。わたしが考えるに、「仲間」というものに、実質、リーダーは、存在しないのではないかと------。
結束も、固い絆とはいうものの、それは決して、一人一人の自由を制限するものではなく、ある一つの目的に対しては、一致団結することはあっても、原則として個人個人はかなりアバウトな結びつきで構成されているものではないのかと思うのです。
それに対して、「派閥」というものは、必ずそこに中心となるボス的な人間の存在があり、そのボスを頂点にピラミッド型の友人関係を構築するといった、明らかな力の優劣が介入するのです。
ですから、ボスは、常に周りの人間が誰とどのような付き合い方をするのか、監視しています。そして、自らの「派閥」を、より大きく強固にするためには、あらゆる手段を講ずるのです。もはや、そこに、真の友情や自由は存在しません。政治家たちの「派閥」が、正にそれですよね。
それに取り込まれた人たちは、いつもボスの顔色をうかがいながら、生活をしなくてはならないのです。
これは、ある旅館で働く仲居さんに聞いた話ですが、仲居さんの中にも、「派閥」は存在し、その人間関係で参ってしまう人は、旅館を辞めざるを得ないことになるのだそうです。そのきっかけも、ごく単純なことで、休憩室の荷物の置き場などを巡っての、争いから始まるのだとか。
そこで、旅館の経営者が一計を案じ、荷物を休憩室の部屋の畳の上ではなく、フックに掛けるように指導したところ、あっけなく「派閥」は、解消したのだそうです。
その話を聞いて思ったことは、力の強弱が存在するグループなどに、真の心の安らぎなどないということです。
やはり、どうせ友情をはぐくむのなら、「派閥」などよりも「仲間同士」となる方が、より人として健全な関係が作れるのではないかと、考えるこの頃です。
本日もまた、わたしの小理屈にお付き合いくださりありがとうございました。
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