自民党は、野党ですよ!・・・・・194

ちよみ

2009年10月07日 23:26

~ 今 日 の 雑 感 ~


自民党は、野党ですよ!



    この間、ま・ことさんのブログで、自民党参議院議員の山本一太氏のブログを教えて頂いてから、時々、そのブログを読んでいる。

    政治家は、よくブログを書いているようだが、本当に政治家自身が書いているのか実に怪しいものもある。しかし、この山本議員のブログは、間違いなく彼が書いているものと判る。いや、そう思う。

    かなり踏み込んだ内容も書かれていて、「気分はいつも直滑降」というタイトルにふさわしく、議員自身の気持ちが素直に表現されているところが、とても好感が持てるものとなっている。

    その文章の中に、「自民党が野党になったことの意味が判っていない」と、いう記述があった。

    つまり、来年の参議院選挙に絡んで、自民党のベテラン議員がこういうことを言ったというのだ。

    「若手・中堅の連中で、業界・団体対策など出来る訳がない」

    これに対して、山本議員は、「感性の鈍さにはあきれるしかない!!」と、書いている。わたしも、ニュースなどを観ていて、これと同じようなことを感じていた。本当に、自民党の議員さんたちは、自分たちが野に下った実感があるのだろうか?----と。谷垣禎一総裁の言動も、何処か高慢な感があり、とても野党の党首とは思えない。

    ある政治評論家は、このことについて、自民党は、野党としての実感を得るまでに5年はかかるだろうと言っていた。そして、そこでようやく彼らは野党としての政治のやり方を学び、実際に与党・民主党を敵に回して論戦を挑むことが出来るのは、それから先の話だろうと、その評論家は話してもいる。

    それほど、与党としてこの国を指導して来たという自民党の自負と意識は、変わりにくいということなのだろう。

    しかし、以前の小泉郵政選挙の時のような一種の精神的バブルに踊らされて国民が自民党へ投じた一票と、今回の二大政党制を望んで国民が投じた一票とでは、まったくその性質が違うように思う。同じ一票でも、今回は、本当に政治を変えたいと思う気持ちの表現が化けた一票なのである。

    つまり、民主党に投票した国民にも、この国に対する責任があるということを、国民自身が判っており、覚悟しているようにも思うのである。それが現在の80パーセントという高い内閣支持率にも表れているのではあるまいか?

    民主党を支えているのは、自分たちだという責任感さえ国民に生まれ始めたとしたら、これは、たとえ自民党がどれほど自分たちは政治のベテランだとアピールしたところで、国民の心には響かないであろう。

    自民党が、もう一度政権を奪還したいと思うのなら、そうした過去の経歴にしがみつくことは、もはや止めるべきである。自民党が、「政治は、やはりわれわれにお任せいただきたい」という考えを持ち続ける限り、議員にものを頼んで何かをしてもらおうという姑息な政治理論はなくならず、いつまでも、国に対する依存型の古い感性の人間ばかりが得をする世の中が続くことになるのである。

    もう、そうした政治手法は、通用しない時代が来たということに、自民党も、また自民党を支持する国民も早く気が付くべきである。 
<今日のおまけ>

    山本一太議員のブログに、「政治家が他の政治家を批判する時、その七割は『嫉妬』である」という記述があった。

    面白い話である。

    『嫉妬』の中にも、様々な物があると思うが、現在の自民党議員たちの民主党議員たちに対する嫉妬心は、いかばかりのものであろうか?

    中川昭一元財務・金融担当大臣の死に際し、弔問に訪れた各自民党議員のあの尋常でない嘆きようは、まるで、自分たちの敗北を中川氏の死とオーバーラップさせてしまっているとしか思えないような感じさえした。

    「女の涙は、武器だ」といった元総理がいたが、あの自民党議員たちが流した涙が「男の武器」だとしたら、彼らの『嫉妬心』たるや、女に敵うものではないのかもしれない。

    


    それにしても、山本一太議員のブログに、「河野太郎候補の地方遊説に同行する中で、谷垣禎一総裁のことは好きになった」という文章が、最近加わったが、まったく、乗り降りの速い男だ。ま、こういう風見鶏的な方向感覚がなければ、国会議員なんかやっていけないんだろうな。(溜息)
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