共同浴場は、学びの場・・・・・230

ちよみ

2009年11月05日 12:08

~ 今 日 の 雑 感 ~


共同浴場は、学びの場


    
    温泉場育ちのわたしは、生まれた時から、近所の共同浴場で入浴するのが当たり前の生活をしていました。

    そこには、お年寄りも入れば、妊婦さんも入りますし、小さな赤ちゃんを連れたお母さんも、芸者さんも、外国から出稼ぎに来たホステスさんたちも入ります。

    ですから、赤ちゃんを連れたお母さんは、自分が髪を洗う時などは、一緒に入っている近所の子供たちに、「ちょっと、うちの子見ていてくれる?」などということもありますし、足の悪いお婆さんが温泉の出口からお湯を汲むことが大変そうな時は、そばにいる子供が、率先して汲んであげることもあります。

    もちろん、この子供たちは、お互いに赤の他人ですが、そういう経験を通して、他人への気遣いや思いやりなどを実に自然な形で学んで行くことが出来るのです。また、そういうことを通じて、赤ん坊の扱い方や、お年寄りへの接し方、妊婦さんとはどういうものかなどなど、正に実践的に勉強することも出来るという訳なのです。

    わたしも、その共同浴場で、近所の子供たちから、「煙」と「湯煙」の違いとか、国語の勉強の仕方などを訊ねられ、それについての俄か授業を、湯船につかりながら講釈したこともありました。

    また、物知りのおばさん方は、漬物のつけ方や、花の育て方、犬のしつけ方法についてまでも、様々な知恵を教えてくださったりもします。正に、「井戸端教室」ならぬ「温泉教室」なのです。

    そんな中でも、子供心に、世の中には色々な人たちがいるものだと知ったのは、その共同浴場に、乳がん手術をして片方の乳房がないお年寄りや、片足が膝の上から切断されたお年寄りと一緒に入浴した時のことです。

    温泉場は、言わずもがなの湯治客も多く、病気やけがの治療や静養を兼ねて温泉につかりに来る人たちも大勢いますから、そうした人々と接する機会も、自ずと増える訳です。

    ですから、そういう人たちを日常目の当たりにしている温泉場の子供たちにとって、身体に障害や手術痕を持つ人は、特別な存在でも何でもないのです。

    「あのお婆ちゃんは、そういう人なんだ」という認識でしかありません。しかし、同じ温泉場育ちでも、自宅に家庭風呂を持っていて、ほとんど共同浴場を利用しない子供たちは、たまに外湯に入った時に、そういうお年寄りを見て、びっくりして泣き出してしまうこともありました。

    子供の心は純粋ですが、強靭で柔軟です。温泉場育ちの女の子に、将来医療関係につく人が多いというのも、何となく頷ける気がします。

    共同浴場は、人間としてのマナーや常識を学ぶ場所であることは、以前にもブログに書きましたが、人間を分け隔てなく見る目を養うためにも役に立つ場所ではないかと、最近改めて考えさせられました。
<今日のおまけ>

     過日、前原国土交通大臣のことを、暗殺すると、ブログに書き込んだ男が警察に逮捕されました。

    感情的になると、自分のブログには何を書き込んでもいいと思ってしまいがちですが、何でも、法律的に許される範囲の言葉と、許されない言葉というのがあるのだそうですね。

    絶対に許されない言葉というのは、相手に、精神的、肉体的に危害を加えることを想像させるものだとか-----。

    「殺す」「死ぬよ」「痛い目をみるぞ」「刺す」「切る」「切られるかもしれないよ」「どうなってもいいんだな」「命をもらう」「覚悟しろ」などの言葉が、考えられますね。つまり、簡単にいうと、生命の危険に関係する脅迫めいた言葉ということになるのでしょうか?

    もちろん、文脈の中で、どのように使われているのかということも重要なのでしょうけれど・・・・。しかし、事の背景がはっきりと判っている場合は、たとえ遠回しの言い方でカムフラージュしても、それは、上記の類と同じ扱いになるそうです。

    でも、こうした言葉は、意外と気が付かないうちに使っている人って、結構いるんですよね。ついつい、激情的になると口から出てしまいがちの言葉ですが、わたしに対する暴言も、この範疇に類するということで、ある男性新聞記者は、間違いなく「犯罪」だと、明言していました。

    ブログ上では、日々、色々な意見が飛び交いますが、それがもしも自分に対する反論だと思ったら、書いたブロガー本人のコメント欄などへ、直接抗議なり反論を書き込めばいいだけのことです。

    しかも、そういうブログを書かれることを、わたしからの事前の報告で知り、本人が許可しておきながら、いざ書かれると陰で暴言を吐くというのは、正に最低の行為です。

    でも、そのブロガーには、未だに反省や謝罪の意思は見えません。

    
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