人は情熱を求めている?・・・・・242

ちよみ

2009年11月14日 18:20

~ 今 日 の 雑 感 ~


人は情熱を求めている?



    新聞のコラムを読んでいたら、ちょっと興味深いことが書かれていました。

    SMAPの人気が下降気味にあるというのです。他のグループの追随を許さないほどに、飛ぶ鳥を落とす勢いだったあの中居、木村、稲垣、草彅、香取の五人組に、いったい何が起きたのでしょうか?

    その兆しが始まったのは、未だ記憶にも新しい、今春の「草彅剛公然わいせつ事件」からだということなのです。

    この事件では、草彅クンへの同情論が世間一般の意見となり、あまり、大きな問題にもならずに収束。草彅クン当人も、既にドラマやCMへの復帰を果たしています。

    この事件が起きた時、テレビのワイドショー番組などでは、常にいい人を演じ続けなくてはならなかった草彅クンが、これまで押し殺して来た自分という存在を、アルコールと公園の暗闇という環境の力を借りて、三十代の血気盛りな青年の等身大で発散してしまったのだと、コメンテーターたちが語っていましたが、その中に、彼らが最も注目したエピソードが、一つあったのです。

    それは、事実か否かは別にして、草彅クンが警察に連行されるとき、同じSMAPのメンバーである香取クンの名前を叫んでいたらしいということでした。ある男性コメンテーターは、やや興奮気味の口調で、「シンゴー、シンゴー!と呼んでいたなんて、切ない話ですよね」と、しみじみ語っていました。

    わたしは、そういう男性コメンテーターの心の奥には、「SMAPは、きっと男同士の熱い友情で結ばれている仲間なんだ。その草彅クンの思いに、香取クンは必ずや応えてくれるだろう」という、願望があるに違いないと、思ったものです。そして、おそらく、一般のファンたちもまた、それと同じような期待を持っていたのではないでしょうか。

    わたしも、これはSMAPの結束力や友情をアピールするには、もってこいのシチュエーションだと感じ、草彅クンの身柄が解放された時、残りのメンバーが全員で彼を迎えに行くというシーンを想像したものです。

    しかし、現実は、そんなにドラマティックなものではありませんでした。SMAPのメンバーたちの中で、香取クンと木村クンは、番組内でそれなりに草彅クンへの信頼のメッセージを発信しましたが、視聴者へのアピールは、その程度にとどまり、まるで、極力、マスコミもこの話題には触れないようにしている感さえありました。

    つまり、わたしたち世間の期待は、あえなく削がれたのです。しかし、わたしには、こういう結末は大体判っていました。それは、SMAPのメンバーたちの日頃の言動を見れば、何となく思い当たることですが、彼らは、ほとんど個人的には連絡を取り合うような間柄ではないだろうということなのです。ですから、メンバーの一人がどうなろうと、それほどお互いに関心がある訳ではなく、既に、彼らは、個々が独立した赤の他人の集まりにすぎないのだということなのです。

    そして、ファンも、この事件をきっかけに、その事実に気が付いてしまったのです。しかし、現在の社会が求めているのは、どんな時も助け合い労わり合う熱い男同士の友情の姿ですから、そんなクールでビジネスライクな関係を見せられては、興醒めするのも当たり前といえるでしょう。

    要するに、彼らの友情は、絵空事だと考えるようになってしまったファンから、SMAPを支持する思いなど失せてしまうことは必然の成り行きだといえるのです。しかも、メンバーの一人は既に妻帯者ですし、独身の男性同士の信頼と友情を期待しているファンたちの目には、ある意味、裏切り行為のようにすら映っているのかもしれません。

    SMAPは、いわばファンにとっては、いつも夢の中の存在であり続ける必要があった訳です。現実社会の一般男性と同じであっては困るのです。ところが、今回、確実にその正体が露呈してしまい、ファン離れが起きつつあることは、当然といえば当然の結果なのかもしれません。

    今の殺伐とした味気ない時代に、人々が求めているのは、「情熱」だという評論家もいます。テレビドラマにしても、映画にしても、男性たちの友情を描いた作品が目につくのもそういうところに原因があるのでしょう。そういえば、今年の大河ドラマも、そんなことがテーマでしたね。

    さて、それでは、SMAPにはなかった熱い友情を押し出した次代のアイドルグル―プは、何処なのか?

    それは、EXILE(エグザイル)だ----と、いう声もあるようですが、四十代五十代の女性層には、彼らの今風なワル系のファッションはあまり受けがよろしくありません。では、今のところ一番の候補は、「嵐」ということにでもなるのでしょうか?

    皆さんは、どう思われますか?
<今日のおまけ>

    かなり久しぶりに、長野駅を見た。駅前の様変わり状態に、まさしく浦島太郎状態。

    それにしても、長野電鉄からJRやしなの鉄道への乗り換えのために、どうしてこんなに階段ばかりの造りになってしまったのか?新幹線の高架橋があるからだという理屈は判るが、それにしても、これでは、足腰の弱いお年寄りなど、絶対に一人では駅を利用することなど出来ないだろう。

    そのためにエスカレーターや、エレベーターがあるというが、下りのエスカレーターはない。足腰の悪い人が一番困るのは、上りよりも下りなのだということが何故判らないのか?また、エレベーターに乗るにしても、視力が落ちているお年寄りには、エレベーターの昇降ボタンが小さくてよく文字や記号が読めないのである。

    昇降ボタンは、掌で押すぐらい大きなものをつけるべきだし、エスカレーターには下りも用意するべきだし、階段が多すぎるのを何とかしてほしいし、乗り換えの場所まで距離があり過ぎる。

    切符を買う時の機械のタッチパネルの操作にも抵抗があるだろうし、切符を入れて改札口を出る時の機械にも戸惑う。世の中は、ますますお年寄りが生きるのに不便な方向へと進んでいるような気がして仕方がない。

    
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