飯塚事件の真実は何処に?・・・・・228
~ 今 日 の 雑 感 ~
飯塚事件の真実は何処に?
福岡県飯塚市で1992年、小学1年の女児2人が殺害された飯塚事件で、死刑が執行された久間三千年元死刑囚=当時(70)=の妻(62)が28日、福岡地裁に再審請求した。同事件では、再審が開始された足利事件と同じ手法で行われたDNA型鑑定が証拠として採用されており、鑑定結果に対する判断が注目される。
弁護団は、「捜査段階の鑑定は血液型やDNA型の判定を誤っている」などとする専門家の鑑定書を提出。「久間元死刑囚と犯人とは一致せず、無実は明らか」として再審開始を求めた。
鑑定を行ったのは、足利事件の再審開始を認めた即時抗告審でDNA型再鑑定を行った本田克也筑波大教授。犯人の血液が付着した当時の資料は使い切られて再鑑定ができず、弁護団は7月、元死刑囚の遺品や遺族の口の粘膜を本田教授に提出するとともに、鑑定手法の検証も依頼していた。<YAHOO ! ニュース>
福岡県飯塚市で1992年に小学一年生七歳の女児2人が誘拐殺害された、いわゆる「飯塚事件」で、死刑判決が確定し、去年の10月に死刑が執行されてしまった久間三千年元死刑囚(当時70歳)の妻(62歳)が、28日、「有罪の証拠とされたDNA鑑定は誤りで、(死んだ夫は)無実だ」と、福岡地裁に再審請求をしました。
この事件における最初のDNA鑑定は、現在再申請求公判中の「足利事件」と、ほぼ同じころに警察庁科学警察研究所で行われているため、鑑定結果の信ぴょう性に疑問が生じて来たことによる再審請求だということです。
「飯塚事件」に関しては、当時の試料が残っていないので、これを再鑑定することが出来ないそうですが、弁護団は、元死刑囚の遺品や遺族の口の中の粘膜などを証拠として提出し、「足利事件」の再鑑定を行った筑波大学の本田克也教授に再鑑定を依頼しており、この鑑定結果である、「先の鑑定は、血液型やDNA鑑定を誤っている」という鑑定書と共に、再審開始を求めたのだといます。
先日、「足利事件」の冤罪が判明した菅家利和さん(63歳)も、当初から犯人ではないという証拠が幾つも出ていたにもかかわらず、その頃最先端の捜査技術であるとされていたDNA鑑定の正当性を覆らせるわけにはいかないという、警察側のメンツと、それを鵜呑みにし自浄努力を怠った検察及び裁判官の手落ちにより、17年以上ともいう気の遠くなるような屈辱の日々を、被るはめになってしまったのです。
しかも、菅家さんの弁護側は、この再審で誤判原因の追及を強く求めているにもかかわらず、検察側は早期の決着が菅家さんのためでもあるかのような理由をつけて、自分たちの判断ミスに目をつぶろうとしているように思えてなりません。
また、裁判官も、新たな事件検証には消極的だという報道もなされているやに聞きます。
しかし、いったい何処に、誤認逮捕の原因があったのか、どうして検察側は、警察の資料を鵜呑みにしてしまったのか、そして、裁判官は、何故、菅家さんの無罪の主張に真摯に耳を傾けなかったのか、これらをすべて白日のもとに解明しなければ、これからの犯罪捜査及び裁判に対する国民の信頼は回復できないということが重要なのではないのでしょうか。
そこに、追い打ちをかけるように、今度の「飯塚事件」判決への疑惑問題です。
もしも、この再審請求が通ったとしたら、それこそ司法はどのように久間元死刑囚と、その家族に謝罪するつもりなのでしょうか?久間元死刑囚は、一年前に既に死刑が執行されているのです。司法は、無実の人間を殺害したことになるのです。これを、「あの時代の捜査方法ではあれが限界で仕方がなかった。あの時代に生まれたことが不運だと思って、諦めて欲しい」と、でも言うつもりなのでしょうか?でも、その理屈は通用しません。
何故なら、死刑が執行されたのは、昨年なのですから。
捜査技術や科学は、常に進歩を続けています。昨日の常識が、今日は当てはまらないということはたくさんあるのです。少なくとも、死刑判決を受け、自分は無実だと訴え続けている既決囚に対しては、少なくとも毎年、過去の捜査に間違いはなかったかということを、再審請求の如何にかかわらず検証し続ける必要があるのではないでしょうか?
そのためには、法律に関わる職業の人たちの人数をふやし、たとえば、法科大学院を終了した学生たちには無条件で、こうした死刑囚の事件に関する再捜査が出来る(たとえば、再審捜査検事などという)という資格を与えてもよいのではないかとさえ思います。
この「飯塚事件」の今後がどのような展開を見るのか、注目して行きたいと思います。
<今日のおまけ>
理容院で、結婚詐欺殺人の容疑者(34歳)の女の話になった。
長野県内にも、この女の被害者になった男性がいるという。この別件逮捕されている女は、出会い系サイトで知り合った男性に接近し、大金を貢がせたあげく殺害したのではないかとの疑惑を持たれているが、週刊誌の広告欄の写真を見る限りでは、目元は隠されているものの、それほどの美人ではないようだ。
しかし、男性側からすると、このくらいの器量の女性の方が、安心感があって気持ちを許しやすいのだという。あまり美人だと、逆に、「おれなんかに近付くのは、何か下心があるに違いない」と、むしろ敬遠されるのだそうだ。
それにしても、解せないのが、女に金を貢いだ男性たちの心理状態である。貢ぐだけの大金を持っているのなら、何も結婚にこだわる必要などなかったのではないだろうか?7,000万円もの貯金があれば、老後の暮らしにも事欠かないと思うのだが、それでも、そばに女性がいてくれた方がよいということなのか?
独り暮らしの中高年男性の気持ちは、わたしなどには理解し難いのかもしれない。
これがこの女のしたことに間違いがないというのなら、正に、平成の鬼女とも呼ばれる所業だが、実に、不可思議な殺人事件だと言わざるを得ない。
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