疲れる男・・・・・479
~ 今 日 の 雑 感 ~
疲れる男
わたしが大学生の頃、よく話をしていた医大生がいた。
彼は、その後内科医になったが、性格はおとなしめで、話し方も極めて控えめ。いつもニコニコしているような如何にも内科の先生の典型のような青年であった。
その彼が、よく言っていたのは、「ちよみさんて、話し方がいつも『わたし』中心なんだね」と、いうことである。
「わたしはこう思う」「わたしの考えはね」「わたしの友だちは-----」「わたしなら、こうする」「わたしの家族は・・・・」
そして、いつも話す言葉が紋切り型で、結論に遊びがないということであった。
確かに、わたしの話し方は、断定的な言い方が多い。別に、曖昧な言い方が嫌いだという訳ではないが、相手に誤解を与えるようなどっちつかずの言い方は、無責任だし失礼にあたることも多いと思い、そういう話し言葉になるのである。
しかし、どうも彼には、そういう言い方がしっくりこなかったようである。
そして、常に「わたし」を中心に話をするのも、他人の話題を取り上げたりするよりは、自分自身の失敗談や経験談をしゃべっていた方が、あとくされないからでもあった。
でも、彼は、もっと彼自身のことについて質問して欲しかったようなのである。
とはいえ、色々訊ねても、ほとんど答えようとはしないのだ。会話は、いつもこちらが一方的にしゃべりまくるばかりで、相手は、ほとんど語彙を発しない。
これでは、会話が成り立つはずもない。
とにかく、疲れるの一言だった。
結局、彼は、何を話題にしてわたしと話したかったのだろうか?未だに、それが判らない。
その青年内科医も、今では、何処かの病院の院長をしているらしい。
彼と結婚して、日常的に会話をしている女性は、相当に辛抱強い人なんだろうなァと、感心する。そして、わたしは、もしも機会があったら彼女に訊いてみたい。
彼との会話のネタは、いったいどういうものなのか?-----と。
<今日のおまけ>
先日、歯医者さんへ行く途中で、道を一本の綱が横に伸びて行く手をさえぎっている光景に出くわした。
その綱の周りには、何人もの若い男たちが集まっている。
よく見ると、彼らは、その綱を木製の機械を使って綯(な)っているのである。
そこで判った。
それは、御柱のひき綱であるということが-----。
その長さ、約100メートル。
こちらは、五月五日が里引きである。
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