山ノ内町のゆるキャラって?・・・・・494

ちよみ

2010年04月19日 10:59

~ 今 日 の 雑 感 ~


山ノ内町のゆるキャラって?


    
    今日、家の近くで、今年初めて鶯が鳴いています。これで、ようやく、春が来てくれるのでしょうか?

    鶯も、もうこれ以上鳴き待てないといったところなのかもしれませんね。


    で、またもピンポイント記事で、すみません。(^_^;)



    
    この間、たまたま山ノ内町の通称楓(かえで)通りを歩いていたら、梅翁寺というお寺の近くで不思議な一団を見た。

    十人ほどの若者や中年の男性たちが街の中をあれこれ見渡しながら、写真を取るなどして歩きまわっているのである。

    何かのツアー客かと思っていたが、彼らの正体が翌日の新聞に掲載されていた。

    彼らは、長野美術専門学校の学生たちだったのだ。

    山ノ内町商工会や観光連盟では、このほど、「町応援キャラクター開発運営委員会」なる物を立ち上げ、長野美術専門学校の学生たちを招き、町のキャラクター作りの参考にしてもらうための探策会を催していたということなのであった。

    今年の秋から始まる「ディスティネーション・キャンペーン」の一環なのだろうか?

    (『ディスティネーション・キャンペーン』などと、どうして横文字を使わなくてはならないのかもイマイチ理解に苦しむし、この英語だが、正直意味がよく判らない。おもてなしと目的地がどう絡むのか?むか~しあった、『ディスカバー・ジャパン』の真似なのか?)

    たとえば、「もてなしの街・やまのうち」では、どうしていけないのだろう?

    町のキャラクターとは、おそらく、最近はやりの「ゆるキャラ」を創ろうとでもいうことなのだろうが、どうして、今更そんな各自治体の二番煎じ三番煎じをしなければならないのかが、わたしには不思議でならない。

    そんな予算をいったい何処から引っ張って来たのか?

    どうして、キャラクター制作を、長野市の学生たちに頼まなければならないのか?

    山ノ内町に限らず自治体や団体の、特に男性陣のやることは、いつも何処か視点がずれているように思えてならない。町のイメージアップが、キャラクターなどで出来ると本気で思っているのだろうか?

    (まあ、女性たちも、特定の団体に属してしまうと、その固定観念から脱却できないのだが・・・・)
 
    キャラクターなどは、町がにぎわっている時に自然発生するもので、無理やり創って成功するなどとは到底考えられないことなのだ。まあ、だいたいが自治体や団体職員の自己満足に終わるだけである。

    (まさか、志賀高原のオコジョや特産のリンゴをモデルになんて、陳腐なことを考える訳じゃァないだろうな?)

    町には、町の長年培って来た文化や言葉、因習などが複雑怪奇に絡み合っているもので、よそから入って来た人たちの意見が、即座に町の住民たちに受け入れられるなど至難の業であることは、嫌というほど判りきっているはずなのである。

    しかしながら、商工会や観光連盟の役員たちなどは、手っ取り早く外部委託してしまえばあとは誰かが何とかしてくれるなどと、どうせ甘い考えでいるに相違ないのである。

    わたしの父などは、この記事を読んだ途端、

    「無駄なことを!」

    と、一刀両断だった。

    それよりも、活性化策の最も大事なことは、「如何にして人々を、その場所へ来なければ死んでしまうかもしれないと、思わせるほどに惹き付けるか?」と、いうことであろう。

    こんな単純なことが判らないとは、まったく呆れるばかりだ。

    根本から発想を転換させなければ、まったく意味はない。

    「ゆるキャラ」など、今更考えている場合ではないのだ!

    
    

    


    
<今日のおまけ>

    認知症老人の一人暮らしで一番心配なことは、「火事」である。

    認知症を患っていてもその老人が肉体的には元気だとと、どうしても一人で自炊もしたがり、ガスやストーブを使うこともある。そうなると、その老人本人だけでなく、隣接する家屋の人たちをも危険にさらしていることになる訳で、これは、老人の「あくまでも自宅で過ごしたい」という気持ちを考えて-----などと悠長なことを言っている次元ではないのだ。

    我が家の近所の認知症老人宅でも、しばらく前まではよく怒鳴り声が聞こえていた。

    「わたしがいない夜は、お勝手で煮炊きしちゃいけないって言っていたでしょ!!どうして、ガス、使ったの!!」

    嫁いだ娘さんが、実家で一人暮らしのお母さんを叱る声だ。

    そのお母さんは、それから少しして施設へ預かってもらうようになった。火事でも出してご近所に迷惑をかけるくらいならと、やむにやまれぬ選択をした訳で、親の気持ちなど尊重してはいられないと、娘さんは話す。

    その後、わたしは、ご近所の主婦たちが「あのおばあちゃんがいなくなってくれて、やっと、安心して眠れるよ」と、言っているのを聞いた。
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