偉大なるマンネリズム・・・・・491

ちよみ

2010年04月17日 22:52

~ 今 日 の 雑 感 ~


偉大なるマンネリズム



    マンネリズムという言葉で真っ先に思い出すのは、わたしの場合テレビドラマの時代劇「水戸黄門」です。

    この番組は、いったいいつまで続くのかと思うほど、俳優を入れ替えながらも延々と放送し続けられていますよね。

    若い視聴者にとってみれば、毎度毎度のストーリーに変わりばえもなく、役者の台詞までが何十年経っても同じという、世界にも類を見ない不思議なドラマでもあります。

    ドラマの中でも彼らはまったく年を取らず、いつまでも諸国を漫遊し続けます。

    正に、「偉大なるマンネリズム」の栄冠にふさわしい物語といえるでしょう。

    しかし、この「水戸黄門」シリーズも一度だけ、このマンネリから脱却をはかったことがありました。それは、石坂浩二氏が主演したシリーズでした。石坂氏は、歴史に出来るだけ則した形での水戸黄門像を目指し、大名はひげを生やさないというセオリーから水戸光圀のトレードマークでもあるあごひげをなくし、助さん、格さんも史実に基づいて武士ではなく学者としました。

    さらに、十六歳で江戸の遊郭へ通っていたという光圀らしく、住まいは側室宅。諸国漫遊も、水戸から少し離れた地域までと限定しました。

    ところが、この「水戸黄門」が放送されるや、視聴者からまず飛び出した反応は、「俳優が一新して、誰が誰やら判らない」「風車の弥七は、いつ出てくるのか?」「格さんと助さんが逆ではないか?」というような、戸惑いの声だったそうです。

    わたしも、これを観ていて、確かにこれは視聴者が勘違いするのも仕方がないなァと、思いました。

    如何に史実に近いストーリー構成だといっても、これまでこのシリーズを見続けて来たファンの目には、まったく異質のドラマとしか映らなかったのです。

    しかも、このドラマを常に視聴していたファン層は、明らかに年配者であり、石坂浩二氏が若い視聴者の獲得を意識して新しい水戸黄門像を模索したことも裏目に出てしまったのでした。

    新しいファンの獲得も難しく、ストーリーが判らないという年配者のファンも逃がしては、元も子もありません。途中から光圀のあごひげは復活しましたが、やはり、一度離れたファンは簡単には戻らず、このシリーズは早々に幕を閉じてしまったのです。

    しかし、どうしてこれほど高齢者ファンは、石坂「水戸黄門」にあからさまな拒否反応を示したのでしょうか?

    ある実験では、石坂黄門以外の「水戸黄門」と、普通の恋愛ドラマを観てもらい高齢者たちの脳の血流を調べたところ、明らかに「水戸黄門」の方が脳が活性化しているという結果が出たそうです。

    それも、いつもの決まりきった由美かおるの入浴シーンとか、風車の弥七の登場シーンとかが出てくると、その脳の活性化は一段と高くなり、最後の印籠を出す場面では、それがピークに達したというのです。

    つまり、高齢者たちは、「水戸黄門」に興奮し、感動し、脳細胞を若返らせていたのです。

    しかも、ストーリー展開が判りやすく、ある程度次の場面も予測が出来、人情あり笑いあり、また立ち回りなどの適度な刺激もありながら、安心して観ることが出来る「水戸黄門」は、認知症の予防効果さえあったといってもいいのです。

    そういう意味からすると、石坂黄門は、高齢者にとっては「水戸黄門」でさえなかったということなのです。

    高齢になればなるほど、新しい物を面倒くさがったり拒絶したりすることが多くなります。

    何の心配もない毎日を、たとえそれが退屈であろうと、変えたいとは思わなくなるのです。

    「偉大なるマンネリズム」こそが、高齢者にとって長生きの秘訣なのかもしれません。

    
<今日のおまけ>

    これが、四月半ばの光景とはとても思えませんよね。

    今日の雪景色です。

    
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