曾祖父の話・・・・・666

ちよみ

2010年07月15日 10:05

~ 今 日 の 雑 感 ~


曾祖父の話



    『龍馬伝』の記事で少し触れたが、わたしの母方の曾祖父(ひいじいさん)は、群馬のさる城主の長男として幕末に生まれた。

    もちろん、父親のあとを継ぐものだと本人も思っていたのだが、父親が後妻をもらい、その後妻に男の子が出来た。

    後妻はもちろん自分の実の子を跡取りにしたい訳で、先妻の曾祖父が邪魔になった。

    俗に言うお家騒動というやつだ。

    曾祖父は、そんな家の内紛が嫌で、ある日、刀を一本担いで城を出奔した。

    そして、江戸の道場などを渡り歩いて剣術修行をしたのだそうだが、そのうちに徳川幕府が倒れ、明治になってしまった。

    武士の身分も紙切れ同然となったので、江戸にいても意味はないと諸国を転々としながらいつしか信州で根を下ろしたのだそうである。

    明治に入って断髪令が出ても、武士のシンボルである髷を落とすのが嫌だとかなり抵抗を試みていたとか・・・。

    (天然のくせ毛なので、ストレートパーマの技術などはない当時、髷を結うのは大変だったそうだ)

    後妻に産まれた腹違いの弟は、その後千葉へ渡り、明治政府の官僚になったという。

    群馬県には未だに城跡がある。

    曾祖父も剣術を良く使い、父も剣道をやっていた。弟も剣道の指導員で、甥っ子も剣道少年だ。

    よほど、剣道には縁が深い家系のようである。

<今日のおまけ>

    明治維新になって、武士が武士でなくなるというのはどんな気持ちだったんだろうか?

    かの山岡鉄舟は、かつての幕臣たちのその後が立つように、就職の世話までして歩いたという。

    パン屋になった者、散髪屋になった者、学校の教師になった者など、国民の十分の一が将来を覆された訳であるから、大変なことだったと思う。

    因みに、我が曾祖父は、土木関係の仕事を始めたそうだが、祖父の結婚を決めてすぐ亡くなった。

    その際、祖母の親がこちらの家系を調査したことが曾祖父の耳に入ると、曾祖父は怒り、

    「〇〇くん、ぼくの先祖を調べたな!」

    と、問い詰めたところ、祖母の親は、「恐れ入りました~!」と、その場に平伏したそうである。

    まるで、時代劇さながらだったそうだ。(笑)
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