『美人』の定義・・・・・672
~ 今 日 の 雑 感 ~
『美人』の定義
考えてみれば、このブログって不思議だと思う・・・・。
わたしが何処の何者かも判らないのに、また、「ナガブロ」でブログをやっていることを家族以外ほとんどの人は知らないのに、多くの方が読んで下さる。
会社に勤めている訳でもなく、社会と隔絶したような生活を送っていて、一日中家族以外の人間とは顔を合わさないことさえあるというのに----ありがたいことです。
ところで、この間、面白い話を聞いた。
週刊誌などの雑誌で、何かの事件記事を扱う時、見出しに「美人銀行員の犯行・・・・」とか「美人OL殺害の真実」などというように『美人』を枕ことばに使っていることがある。
これは、誰がその事件にかかわった女性たちを『美人』だと評価しているのか-----と、いうことであるが、何でもその女性が十人並みの器量であれば、たいてい『美人』を使うのだという。
『美人』の定義は人それぞれなので、特別にそうでない限り「美しい」と形容するのだそうだ。
その方が読者の興味をひくし、売り上げも伸びるのだという。
では、女性が絡んだ事件や事故で『美人』がなかった場合はどうなのか----と、言うことであるが、これはその女性が四十歳以上の中年か、もしくはほとんど「美」とは無縁の容姿の場合には、あえて『美人~』は、用いないのだという。
そのため、たとえ週刊誌の見出しに「美人~」と、あったとしても、「え?この人の何処が美人なの?」ということも良くある訳で、最近はあまりこうした「美人~」の表現は使わなくなったようである。
『美人』が付いていれば十人並み。付いていなければ、何をかいわんや・・・・では、女性を差別していることにもなりかねない。
それにしても、『美人』の定義は難しい。
うちの父などは、すらりと痩せた美人など、まったく興味がないそうで、昔ある自治体と企業主催パーティーで女優の沢口靖子さんが企業側のホステスとして出席していたのを見て、「真っ白な幽霊みたいな女がいた」と、話していたくらいである。
父の定義からすれば、痩せぎすで背の高い女性は、皆「十人並み以下」なのである。
だから、平均身長が160センチ以上にもなる今の若い女性たちは、昭和一けたの父に言わせればおしなべて「何をかいわんや」の部類なのだそうだ。(父の女兄弟は皆背が高いので、小柄な女性に憧れていたのだという)
そう言われれば、最近、共同浴場で顔を合わせる若い女性たちの大きいこと。
背も高く、横幅も半端でない。
こんな女性たちばかりが足腰の弱い高齢者になったら、いったい誰が面倒を見るのだろうか?
ふと、そんな老婆心が頭をよぎってしまう。
小柄で器量などもそこそこでいい。元気で健康に生きられれば、それが一番だと思う。
<今日のおまけ>
話し合いは、男性だけとか女性だけでは行なわない方が良いという。
そういう場合の結論は、とかく過激な方向へ走りがちになるのだそうだ。出来もしないことや、無理が生じることなどの結論を皆が支持しやすくなるのである。
つまり、無意識のうちに同性同士のライバル心が話し合いに影響を及ぼすからだという。
だから、裁判員制度にしても、男性もしくは女性偏重のような選別は出来るだけ避けるべきであり、また、男女が均等に参加したとしても、裁判員の中に極端な美人は入れるべきではないのだと、いうことにもなる。
あくまで、心理学的に見た場合だが・・・・。
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