~ 今 日 の 雑 感 ~
観音様のような人
わたしの知り合いに『観音様のような人』だと言われる女性がいます。
わたしは、以前、『八方美人は八方敵に回す』という記事を書きましたが、この女性こそ、その典型だと思うのです。
『観音様のような-----』と、表向きは尊敬されていますが、裏へ回れば周囲の人たちの評判はすこぶる悪いのです。
人の陰口は叩かない。いつも頬笑みを絶やさない。相手の意見に反論しない。地区の用事なども率先してやる。
正に非の打ちどころのない女性なのですが、その女性への評価は最悪なのです。
どうして、こんなことになってしまうのでしょうか?
人間の心理とは不思議なもので、気持ちを同じくして結束するためには必ず『敵』の存在が必要なのです。
かつて、自民党の小泉元総理が自民党内の抵抗勢力を国の敵だと思わせて国民感情を団結させたように、また、アメリカ国民の気持ちを結束させるためにブッシュ政権がイラクには大量破壊兵器があると唱え続けたように----。
ですから、誰の批判もせず、何ものに対しても平等に接する女性を、周囲の人たちは「信用のおけない女」と、思うのです。
「他人の批判をしない」----「八方美人」
「いつも頬笑みを絶やさない」----「辛いこともないなんて、幸せな女だこと」
「陰口を言わない」----「仲間として認めるには信用が出来ない」
「文句を言わず率先して働く」----「真面目すぎて、こっちの手抜きが目立つだろう」
つまり、『観音様のような人』は、『信頼できない厄介者』というレッテルを貼られてしまっているのです。
ですから、もしも、あなたが「自分は仲間外れだ」と感じたら、周囲に対してそういう八方美人的な態度を取っていないかということを考えてみて下さい。
「でも、わたしは人の悪口など言えないわ」
と、思うのでしたら、誰でも知っている政治家や有名人などについて批判してみて下さい。
それも無理なら、家族の愚痴でもこぼしてみて下さい。
事件や事故の加害者に対する批判でもいいですから、話してみるのもいいでしょう。
とにかく、人間は人間臭さを好むのです。いくら良い人でも、血の通わない『観音様』は、敬遠されるのです。
有名人が亡くなった時、故人が毒舌家ほど告別式に集まる人は多いものです。
「自分が落ち込んでいた時、一緒に社会を非難してくれた」
そういう弔辞を読む人もいます。
その人が人々の記憶に残る良い人か否かは、結局その人物の有する『信頼度』で決まるのではないでしょうか?
<今日のおまけ>
今年は冷夏だなんて、いったい誰が言っていたのか?
「まったく、気象予報士なんて茹でた刺身みたいなものだ」と、農家の奥さんは嘆いている。
そのこころは、「あたらない」ということですな。
トウモロコシも中身がスカスカのシイナだそうだ。
長野市の城山に下駄が転がっていたなんて、かつての学生たちは冗談を言っていたものだが、予報精度もその頃とさほど変わらないんじゃないだろうか?
スーパーでは、夏バテ予防にブドウ糖飴がよく売れているらしい。
酷暑の覚悟が出来ていなかっただけ、暑さが身に応えるのだ。