思い込みという厄介な物
思い込みという厄介な物
人は、常に自分が関心あることを基準にしてしか物事を見ないし判断しないものである。
たとえば、「ストライク」という言葉を聞いた時、野球が大好きな人は、バッターとピッチャーの真剣勝負を思い出すだろうし、ボーリングにハマっている人ならば、すべてのピンを倒した瞬間の爽快感を思い出すだろう。
実は、わたしにも、忘れられない「何それ?」な経験がある。
大学生の時、わたしは、前期試験のことが気になっていて、ある教授の講義が終わった際に、教授と話をして戻って来たクラスメートに、「今、何を話していたの?」と、訊ねたことがあった。
わたしは、ただ、教授とクラスメートが試験の範囲について話していたようなので、それを聞きたかっただけなのだが、彼女は驚いた顔で、
「あの教授を好きなの?」
と、言ったのだ。何のことか意味が判らず、わたしはポカンとしていたが、彼女自身がその教授を気に入っていたことで、わたしが、教授と親しげに話をしている彼女に嫉妬したのではないかと、一瞬疑ったのだということがあとで理解できた。
実に、バカげた発想であるが、彼女の頭の中には「恋愛感情」しか思い浮かばなかったために、そんなトンチンカンな反応しか出来なかったのである。
おかげでとんだ面倒な誤解をとく破目になった。
大学時代のわたしの頭の中は、小説のことと勉強のこと以外はほとんどが付録だったと言っても過言ではない。
ちょっと、良いな・・・と、思った男の子もいたが、勉強の方を優先したために、いつもの如く頭の中のサーモスタットが働いて興味が消滅するのも速かった。
人は、とかく自分本位でしか物事を観察できない面があり、常に恋愛感情ばかりを人生の基準に考える人は、男性と女性が隣同士に座っているだけで、二人を恋人関係のようにしか見ないという偏見を生みだしてしまうものなのだ。
そして、そういう人に限って、恋人がいるとか、結婚しているというようなことを、とかく人生の勝利者の如く勘違いしているものなのである。
<今日のおまけ>
地デジテレビを買ったはいいが、使い方が判らず、観ていないという高齢者が案外多いそうだ。
若い人たちと同居している場合はともかく、高齢者ばかりの世帯とか、独り暮らしの世帯の場合は、一度簡単なリモコンの使用方法を説明されたぐらいでは、すぐには覚えられないし、いったん覚えてもリモコンの他の機能を触った途端に、元への戻し方が判らなくなってしまったまま、放りっぱなしになっている---などということも少なくないそうだ。
機械の詳しくない人やデジタル機能など覚える気のない人にとって必要なものは、テレビの電源スイッチと、チャンネル変換ボタンと、音声関係のボタンだけだ。
地デジテレビには不要な機能が付き過ぎている。
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