近頃のテレビ番組

ちよみ

2011年08月15日 21:38

近頃のテレビ番組




    近頃のテレビ番組を観ていて、気付いた。

    とにかく、食べ歩き番組が多いのだ。

    大盛りシリーズやら、激安グルメやら、ご当地B級グルメなどなど、タレントやアナウンサーがとにかく食べて食べて食べまくる。

    この不景気に、どうしてここまで食にこだわるのだろうか?

    大震災の被災地では、義援金の配分も滞り、お金がなくてとても外食などままならない人たちが多いと思うのだが、そういう人たちに、「これは美味しい」「一度食べて下さい」「この大盛りランチを何分で完食できるか」などという番組ばかりを観せることに、どんな意味があるのかと、常々疑問に思うのだ。

    そして、もう一つの疑問は、お笑い芸人や若手タレントたちを大勢スタジオのひな壇に並ばせて、面白おかしい話だけで盛り上げようとする番組である。

    おそらく、必要経費は出演者たちへのギャラのみで、しかも若手のタレントの出演料など大した額ではないために、かなり安価な番組に仕上がっていることだろう。

    このようなおざなりな番組が増えたのはどうしてなのか?

    実に、奇怪な現象である。

    テレビ局の怠慢なのか、冒険心がなくなったのか、それとももっと生臭い金銭的事情というものなのか?

    そして気になるのが、あのわざとらしい笑い声の挿入である。時には、別にそれほど感心することでもないところへ、まるで一世一代の謎が解けたような声で、「へ~~~!」と、納得してみせたりもする。

    耳障りとしか言いようがない。

    あんな効果音とも言えない声を仕事にして、ギャラを稼いでいる人たちもいるのかと思うと、それこそ「へ~~!!」である。

    それにしても、食べ歩き番組で誰一人として、「まずい!」という人がいないのも不可思議だ。(まあ、そんな感想を放送出来ないか・・・)

    皆、何を食べても「うまーい!!」としか言わないなんて、そっちの方が胡散臭く思える。

    もう少し、視聴者の身になるような番組は制作できないものなのだろうか?

    食べ歩きやお笑い芸人たちのひな壇トークは、正直もう食傷だ。
<今日のおまけ>

    今日、安曇野市の歴史をひもとくという番組を放送していた。

    安曇野市の土壌は、雨水を尽く地下に染み込ませてしまう性質をもっているので、元来稲作には適さず、かつては水争いが絶えなかったそうだ。

    そこで村人たちは拾ケ堰(じっかせぎ)を造り、今では評判の米どころとなった。

    そして、安曇野の大地をくぐりぬけて濾過された湧水が出る場所では、江戸時代からワサビの栽培が盛んで、満願寺の軟水は特に有名だそうだ。

    水に雑味がないので、コーヒーやお茶をいれる時に使うと、素の味が引き立つという。

    夏に見る水の風景は涼やかで気持ちが良い。
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