オオカミ少年?
オオカミ少年?
昨夜のNHK総合テレビでは、今回起きた台風12号による紀伊半島の大水害について取り上げ、特に、和歌山県内で何故これほどまでに死者行方不明者が出たのかについて、NHK解説者や水害に詳しい学者が話していた。
和歌山県内にこれほどの大被害をもたらしたわけは、断続的に続いた大雨により、地層深くに染み込んだ雨水が、岩盤ごと山を持ち上げ、深層崩壊を起こしたためだそうである。
この大崩落が集村を飲み込んでしまい、多くの犠牲者を生んだのだという。
しかし、こうなるかもしれないことは、気象予報からも予め判っていたことである。
問題は、何故、そうした危険性が予測できる集落に住んでいる人たちに、自治体の首長たちが避難を呼びかけなかったのか----と、いうことである。
この質問を番組の司会者が、今回被害が大きかった市の市長に訊ねたところ、驚くべき答えが返って来た。
「オオカミ少年になりたくなかったからです」
この市では、大惨事が起きる直前に一度小規模な洪水被害が出ていたため、堤防の決壊等を懸念し、市長が避難勧告を出したのだという。
すると、この避難勧告を避難指定地域の区長がテレビで知り、市長のところへ、
「自分に何の相談もなく避難勧告を出すとは何事だ。実際、避難するほどのことはなかったじゃないか」
と、いうような趣旨の苦言を述べて来たのだそうである。
避難指示や避難勧告を出したものの、被害がそれほどではなかった場合、住民は、「どうせ、また、市長の脅しだろう」ぐらいの気持ちにしかならない。
それでは、むしろ本当に危険な時の避難の役に立たない指示や勧告になってしまう----と、市長は答えるのである。
そして、この「オオカミ少年になりたくない」の思いは、この市長に限らず、他の自治体の首長たちも同じであった。
避難指示や避難勧告は、市町村単位で出すことになっているそうだ。
これを聞いた災害時の心理に詳しい専門家は、「とにかく、こうした災害時には国や県が独自の調査に基づき、市町村へ避難指示や勧告を促すというシステムを整備しなければ、実際の被災現場にいる自治体の長には荷が重すぎる」等のアドバイスをしていた。
さらに、「この指示や勧告が出たら、何をおいてもとにかく避難することが重要で、何もなかったら、それを良かったと考えるべきである」と、釘をさす。
ある町長は、「うちは高齢者が多いので、避難場所まで何度も足を運ぶのを嫌がる傾向がある。一度出した避難指示が空振りに終われば、次の指示には従わない人が出かねない」と、答えていたが、この専門家は、
「何度でも避難してもらうことだ」
と、まず避難ありきを強調する。
確かに、高齢者を多く抱える自治体にとって、避難を呼びかけるタイミングを計るのは実に難しいことであろう。しかも、その責任がすべて市長村長に任されているというのも酷な話である。
やはり、こうした大災害が事前に予想される場合などは、国や県といった大きな単位による特別な避難指示や勧告が必要になるのではないかと感じた。
因みに、避難指示とは、「何が何でも今すぐ避難しなさい!」という、避難命令。避難勧告とは、「避難の準備をして、避難して下さい」ということだそうである。
言葉の強さから、「避難勧告」の方がレベルは上のように勘違いしがちだが、そうではないという。
だったら、「避難指示」を、「避難命令」にした方がいいような気もするのだが・・・、どうなんでしょうね。
<今日のおまけ>
昨夜も外で若者たちが騒いでいた。
夜ぐらいは家へ帰って寝ればいいと思うのだが、ある若者が話すには、
「夜、一人でいるのが不安で寂しい。昼間眠っていても、夜は誰かとつるんでいたい」
のだとか。
これを聞いて、「何処かで聞いたことがある言葉だぞ」と、思った。
一人暮らしのお年寄りと同じことを言っているわけだ。
加えて、若者たちには、こんな懸念も追い打ちをかける。
自分が眠っている間に、友だちが別の誰かと親しくなってしまったら・・・という考えが頭をよぎるだけで、居ても立っても居られない。
携帯電話が普及したことで、24時間の自由な会話が可能になった。
一夜明けたら、自分一人が会話のカヤの外----と、いうようなことが頻繁に起きるらしい。
コミュニケーションが容易になった分だけ、人間同士の信頼度が薄くなったのかもしれない。
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