自信満々な人々

ちよみ

2012年08月01日 12:09

自信満々な人々




    
    最近の若い人たちの中には、とにかく自分に自信満々な人が多いように見受けられる。

    こんな現象は、わたしたちが若い頃には考えられないことであった。

    たとえば、文筆家にしても、若くして世間にのし上がろうとするなら、親子の縁を切り、羞恥心さえかなぐり捨てたような下品な文章でも書かなければ注目を集められなかったものである。

    しかし、今は20代、30代でも一人前の文筆家や事業家として、堂々と会場を借りて講習会を開く人までいるそうだ。

    単にブログやツイッター等で、ささやかに独自のアイデアや経験談を語ったり、ご近所同士や親しい仲間内で、和気藹々と漬物のつけ方や料理の作り方を教え合うのとは訳が違う。

    わたしたちのような常に年配者に従って来た世代の者たちにしてみれば、冒険心があると言うのか、怖い物知らずと言うのか、大した度胸だと舌を巻かざるを得ない。

    わたしなど、未だに自分の書いている物が本当に人さまの目に触れてよいものか否か、思考錯誤の連続である。

    かつて、英会話学校の先生から華道教授として指南して欲しいと頼まれた時も、自分の実力がどれほどのものか判っているので、丁重にお断りした。

    若くしてそういう講義や講演が出来る人というのは、どれだけの知識や経験を持っているのであろうか?

    年配者は、たとえ知っていても知識や教養をひけらかすようなことはしない。

    若い人たちが訳知り顔に話すことも、たいていの年配者は既に知っていることばかりなのだ。

    だが、年配者は、相手を立てる術を子供の頃からしつけられているので、決してそのようなことは口にせず、

    「若いのに大したものだね」

    と、わざと驚嘆してみせたりもする。

    だが、自分を過信している若手の文筆家や事業家には、そうした大人の思いやりはほとんど伝わらない。

    だから、わたしは、そういう人たちにあえて問いたい。

    「あなたは、人さまに何かを教えることが出来るほど、知識や教養のある経験豊かな人物なのですか?」

    と-----。

    他人に物事を教えるということは、それほど単純なことではないはずなのだが・・・。

    近頃は、にわか教授が多すぎるような気がする。

  
    
<今日のおまけ>

    松本市でも撮影が行なわれたという「サマー・レスキュー」----まったく今のところ観てはいないが、この間テレビ録画画面の番組説明を読んでみた。

    「主人公(優秀な心臓外科医)にドイツ行きの話が来るが、自分には登山者の命を守ることの方が大事だと、この話を断わる」

    そんな、バカな!?

    優秀な心臓外科医がもったいない。

    山の診療所など、研修医にでも任せてドイツへ行きなさいよ!と、思わず突っ込んでしまった。

    
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