不思議なペット事情
不思議なペット事情
ヤフー知恵袋に何ともユニークな質問があった。
「ペットの犬が死んだという同僚が三日間の喪中休暇をとり、それだけでも他の社員たちは呆れていたのに、死んだ犬の葬式に出席して欲しいという告別式案内状が社員全員に届いた。
犬の葬式に花代や香典を包むなど考えられないということで、皆、他に用事があるとの理由で、葬式への列席は断わった。
すると、この同僚は、「死んだ犬は家族同然なのに!」と、激怒。
しかし、犬の葬式に香典を包めば、金魚が死んだ、鈴虫が死んだというだけでお金を包まねばならなくなる。
それでも、ペットの葬式に出席しなければいけないのか?わたしには、絶対にそんなことは出来ない」
これに対する回答者の意見は、「確かに、愛犬が死んで悲しいのは判るが、その悲しみを他人にまで強要する必要はない。この社員は特殊な人です」と、いうものが多かった。
それにもう一つ。
「身内が亡くなって悲しんでいる人に対して、『判るわ。わたしも〇〇ちゃん(犬の名前)が死んだ時は、本当に辛かった』と、人間の死と犬の死を同レベルで悲しむ人の神経はどうなっているのか?実に、不謹慎だ」
と、いう質問もあった。
これについても、回答者たちの答えは、「犬の死と人の死を混同するなどおかしい。犬はあくまでペットであり、人間の価値と同じレベルで考えるのは間違っている」というものが大半で、日本人の意識は、まだまだ健在であることが判りほっとした。
しかしながら、上記の質問のような、「ペットは家族以上の存在」と、考える飼い主が増えているのも事実である。
飼い犬を「ちゃん」付けで呼ばなかったというだけで、烈火のごとく怒る飼い主もいる。
回答者の中には、「自分も飼い犬を溺愛してはいるが、他人さまに対してまでそうしろというようなつもりはない。犬を飼っていない人に話す時は、『うちの犬』というように呼び方を替えている」と、いう常識人もいた。
「本当に犬嫌いの人に、愛犬を『犬畜生』と、呼ばれて腹が立ったが、犬は犬なので仕方がない」と、いう回答者もいた。
ペットの葬儀で思い出したが、昔、ご近所に飼い猫の葬式をした人がいた。
まだ、ペットの葬儀が珍しい頃だったので、近所でもかなり話題になった。
そこへ参列した飼い主と友人のある主婦が、その時の会場の雰囲気をこんな風に話してくれた。
「ちゃんと、人間のお葬式のように庵主さんが来られて、『猫ちゃん、猫ちゃん』って、お経をあげるんでびっくりしたわよ」
でも、その風景を想像すると、何となく微笑ましくさえ思えた。
おそらく、その猫の飼い主が、猫が生きている頃はおよそ猫を溺愛しているようには見えなかったからであろう。
猫は、特段、家族といった具合ではなく、ただの飼い猫として一生を過ごしたのだが、その葬儀を執り行ったことで、猫に対する飼い主の愛情が垣間見えたからである。
参列した飼い主の友人たちも、香典などを持ち寄ることもなく、葬儀の後も和気藹々とした他愛もないおしゃべりをするお茶会で過ごしたという。
もしも、質問中の同僚社員が、告別式案内状を郵送するような仰々しいことなどせずに、ペットを失った自分の寂しさを癒すために近しい人たちに集って欲しいというだけの、そんな簡素なほのぼのとした葬式なら、社員たちも違和感を覚えることなく出席してくれたのではないだろうか。
<今日のおまけ>
残暑見舞いは、立秋(8月7日頃)を過ぎてから8月末頃までの時期に出します。ここでいう「立秋」とは二十四節気の一つで、この日からは暦の上では秋なのに、暑さはまだまだ厳しいことから、相手の体調を気づかうとともに、こちらの近況を伝えます。
文字どおり「暑さが残っている」時期のお見舞いなのです。
この他に、お中元の時期を過ぎてから贈る贈り物にも「残暑見舞い」という表書きを用います。
なのだそうですね。
何となく「お盆過ぎたら残暑見舞いかな?」ぐらいの感覚はあったのですが、こういうものだと初めて知りました。
でも、8月7日頃といっても、現代ではまだまだ夏真っ盛り。残暑というにはほど遠い感じがしますよね。
それに今年のように梅雨明けが遅かったりすると、暑中見舞いを出す期間の方が短くなってしまいます。
せめて、お盆が過ぎるまでは、暑中見舞いでもいいのでは?----と、思うのですが・・・。
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