殴りかかる人たち
殴りかかる人たち
以前に、このブログにも書いたのだが、近頃はすぐにキレる大人が増えているそうで、そのキレ方が昔とはかなり質が違って来ているという。
かつての日本人は、文字通り耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んだのちに、堪忍袋の緒を切らすというのが相場だった。
しかし、今は、人ごみで肩が触れた途端にブチ切れて、誰かれ構わずナイフで刺す----などという瞬間沸騰型が多くなっているそうだ。
これは、何も若者に限った現象ではない。
むしろ、年配者の中にこうしたタイプが増えているのだという。
たとえば、駅の切符売り場の自動販売機の使い方が判らず戸惑っているお年寄りを見付けた駅員さんが、
「何か、お困りですか?お手伝いしましょうか」
と、声をかけたところ、いきなりお年寄りに顔面を殴られたという話も聞く。
親切心から助け船を出したのに、どうして殴られなければならないのか訳が判らないという駅員さんだが、このお年寄りは認知症でも何でもない。
話を聞けば、殴りかかるにはそれなりの理由があったのだ。
「おれは、今まで人から助けてもらうようなことは一度もない。そんな弱い人間じゃないんだ。それを勝手にもうろくしたような扱いをされて、我慢が出来なかった。おれにだって、プライドはある。切符ぐらい一人で買える」
とはいえ、そのお年寄りの後ろには、切符を買おうとする他の客たちが列をなしていたのだから、駅員さんとしては気配りをするのは当然である。
が、そんな理屈はこのお年寄りには通じなかったようで、
「どうして、もっと時間をかけて買わせてくれなかったんだ。恥をかかせやがって、バカにするな!」
と、腹立ちは収まらない。
つまり、高齢者にはこれまで自分の力で世の中を間違いなく渡って来たというゆるぎない自尊心があるため、如何に親切心からであろうと、それを否定する者は許せないのである。
「本当に困ったら、自分の方から訊きに行くので、それまでは黙っていろ」
と、いう訳である。
精神科医が言うことには、
「ストレスとは、怒りである。寂しさや孤独感が怒りに変わり、それがストレスとなる。ストレスが高じると、それを発散するために暴力を振るうのがキレるということで、これをなくすためには、感情を意識から切り離すことである。
腹が立ったら、何故腹が立つのかを客観的に分析する癖を付けることで、怒りはある程度コントロールできるのだ。そして、腹が立った時は、一つ大きく深呼吸をする。そして、その時は、吐く息を出来るだけ長く続ける。こうすると、意外にその怒りが小さくなるという実験結果も出ている」
そうである。
しかし、傷付けられることを極端に恐れ憎む人たちの怒りをコントロールすることは実に至難の業である。
自分は他の人間たちよりも特別でなければならない----と、考える人々が、キレる大人になるといっても過言ではないようである。
<今日のおまけ>
昨日、共同浴場へ行くと、脱衣所に一人の女性が立っていた。
浴室の方では、二人の女性が入浴中である。
わたしが脱衣箱に服を入れ始めると、その女性は、
「さっきからあの人たちが上がるのを待っているんだけれど・・・。また来る」
と、言って外へ出て行ってしまった。
わたしは、二、三人が一緒に入浴するのなどまったく平気なのだが、時々、一人でしか入浴したくないという人もいる。
そういう人は、他の人があとから入ってくることも嫌う。
でも、共同浴場で一人入浴など、そう滅多に出来るものではない。
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