温泉場の今昔
温泉場の今昔
「渋温泉さえよければ周りの安代温泉や角間温泉、上林温泉がどうなろうと関係ないのかねェ。町長さんが渋温泉の人だからかね・・・」
近所のおばあさんが近頃の渋温泉一辺倒のテレビ番組に苦言を呈していた。
そういえば、これと同じことを言う人が他にもいた。
「もう、渋温泉の番組、見飽きたよね。いつもいつも同じ顔ぶればかりが出演していて、山ノ内町内には、まだまだいい所がたくさんあるのに、あ~またか・・・って感じ」
地元の人たちに呆れられては宣伝番組も逆効果だ。
これからの季節、テレビ局には、今度はぜひ渋温泉以外の山ノ内町の素晴らしさをどんどん紹介してもらいたい。
このブログでも何度か書いて来た通り、渋温泉は格式も高く、確かに素晴らしい歴史のある温泉場だが、安代温泉や角間温泉の庶民的な情緒も魅力的には決して引けを取らない。
渋温泉と安代温泉は一本の道でつながっている。
しかしながら渋温泉は安代温泉のことを一言もPRしようとしない。
何故だろう?
渋温泉は沓野区で、安代温泉は湯田中区だという理由だけではないようにも思う。
戦後、世の中には深刻な食糧難が襲い、敗戦の放心状態に破滅的な感情が渦巻いて、人々が何に希望を見出したらよいか判らなかった混乱の時代、戦地から戻った安代温泉の若者たちは考えた。
「温泉祭りをやらないか?」
「温泉祭りって、何をやるんだ?」
「とにかく、何でもいい。皆が楽しく騒げることをやるんだ。元気が出れば、やる気も起きる」
そこで、安代温泉の若者たちは沸き出す温泉を樽に入れてそれを担いで街中を練り歩いた。
腕に覚えのある者は、横笛や三味線、太鼓なども持ち出して愉快にはやし立てる。
これには、近所の人たちも何事かと見物に集まると、一気に街は足の踏み場もないほどの人々で埋め尽くされ、お祭り騒ぎで盛り上がった。
すると、この様子を見ていた渋温泉からも、
「おれたちも、温泉祭りに加わらせてくれないか」
との声があがる。
「もちろんだ。どうせやるなら、安代、渋みんなで派手にやろう」
安代温泉の人たちは、一も二もなく承諾し、安代、渋が一緒になって戦後の温泉場を活気づけたのだった。
そうやって、戦後の混乱期の安代・渋温泉は再び温泉場本来のにぎわいを取り戻したのである。
観光地は、何処も持ちつもたれつでやらなければ、景気回復などは望めない。
自分たちだけ潤えばいいというような利己的な考え方では、先が見えている。
今の渋温泉があるのも、過去に近隣の温泉場が協力を惜しまなかったからであろう。
そういうかつての恩を決して無にして欲しくはないのである。
因みに、今日からSBCで始まった再放送の韓国ドラマ「天国の樹」の撮影は、角間温泉や湯田中温泉が舞台。
劇中に登場する主人公たちが通う高校は、山ノ内中学校を使用している。
<今日のおまけ>
テレビ局の人たちに言いたいのだが、取材というものは断わられてナンボである。
いつもいつもウエルカムの観光地は、確かに下準備も必要なく取材される方の言い分だけを聞いていれば、手っ取り早く番組にはなるだろうが、それではあまりに知恵がなさすぎやしないだろうか?
それよりも自分たちがどのような番組を作りたいのか、取材には非協力的でも何度足を運んでも発掘したい魅力があれば、それを追求するのがジャーナリズムのはずである。
最近の番組作りは、あまりに取材先の意向に頼り過ぎているように思える。
もっと局側が主体性を持ち、自らの頭で考えた番組制作を期待したい。
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