イジメを楽しむ・・・・・154

ちよみ

2009年09月05日 14:57

~ 今 日 の 雑 感 ~


イジメを楽しむ


  
    わたしは、小学生の頃から、クラスの者たちのやっかみの対象となることがよくあった。

    それが、イジメというものかどうかは定かでないが、とにかく、羨まし半分の嫌味を言われたりすることが、頻繁にあったのだ。しかも、ある時は、文集に載せる作文にまで書かれたことがある。

    理由は大したものではない。わたしの着ている服が綺麗すぎるというような、実に子供らしいものなのであるが、当時は、そんな些細な問題が、田舎の小学生にとっては、大議論の対象になったのである。

    しかし、その頃の教師は、そういう作文を平気で文集にして、各児童に配布するという荒芸を堂々とやってのけるのだから、今考えると、驚きとしか言えない。もしも、現在の小学校の教諭がそんなことをしたら、悪口を書かれた児童の親から、損害賠償の訴えを起こされることは必至である。

    なんとも、おおらかな時代だったと言えよう。

    しかし、そういう意味のイジメは、わたしが高校生になった時も、ささやかにあった。わたしが、他の生徒たちよりも少しばかり早く大学の合格が決まった時、同じ大学を受験したにも拘わらず落ちた生徒がいて、その生徒に同情した他の生徒たち数人が、わたしに嫌がらせを始めたのである。

    正に、自分の非力を棚にあげた妬みとしか言いようがないのだが、当人たちには、正義のためにその生徒に協力しているのだというような、馬鹿馬鹿しい高揚感があったらしく、嬉々として、この状況を楽しんでいるようですらあった。

    そんなことに現を抜かすよりも、自分たちの進学の方が重要だろうと思うのだが、何せ、大して勉強の出来る連中ではなかったようで、そんなことをしている時だけが、嫌な受験のプレッシャーを忘れられていたのかもしれない。

    しかし、わたしは、何故か、その時、このいわゆるイジメ的な雰囲気を楽しんでいる自分に気付いていた。それも、わたしには、よき協力者が三人ほどいたからである。

    その同級生たちも揃って幕末の歴史が大好きと来ていて、わたしに嫌がらせをする連中を、「新選組」にたとえていたのである。そんな協力者の一人が、ある時、イジメっ子連中が校舎の一角で、下校の際にわたしのことを待ち伏せし、一説教たれんとしているという情報を入手した。

    情報を聞き付けた同級生は、すぐにそのことをわたしと後の二人に報告し、下校時の逃走経路を綿密に調べ、走るのに邪魔になる学生鞄は、その中の一人があらかじめ運び出しておくという手を考え、待ち伏せ連中の裏をかいて、まんまと校舎から脱出することに成功したのであった。

    気分は、もはや、「新選組」から逃げおうせた長州藩の倒幕派志士の心境である。さしずめ、わたしは、桂小五郎にでもなった気持ちだった。

    それから、何日かして、そのイジメっ子の一人がわたしの家へ電話をかけて来た。電話の向こうでは、涙声で謝るのである。何故、その子が急にそんなしおらしい気持ちになったのか、よく判らなかったが、大学へすんなりと合格したわたしのことが羨ましかったのだと、言っていた。

    わたしも、謝られて、それでも許さんというつもりもなかったので、「あんたも、早く合格できるように勉強がんばりな」と、言って電話を切った。しかし、今のわたしには、その時のイジメっ子たちの名前すら記憶にない。

    正直、高校時代の同級生でフルネームを覚えている生徒は、数人だけである。

    イジメも楽しんでしまえれば、その程度の記憶にしか残らないものなのだ。

    
<今日のおまけ>
 
    大学時代には、本当に頭に来る奴がいた。

    忙しさにかまけて、わたしが書いた手紙を、ある後輩にポストへ出しておいて欲しいと頼んだところ、その後輩がこともあろうに、こっそりと封を開けて(やかんから出る蒸気に開封口を当て)内容を読み、また何食わぬ顔をして糊で封をしてから、投函しようとしていたのだ。

    わたしが、途中で、書き足りないことがあったので、もう一度書きなおそうと、その後輩に投函を待って欲しいと頼み、手紙を取り戻した時に、それが発覚した。

    本人も、その盗み読みを認めたが、何故、そんな真似をしたのか、話そうとはしなかった。だが、わたしが頭に来ていたのは、その後輩ではない。そいつのことも呆れてはいるが、それ以上の馬鹿野郎が出現したので、後輩への腹立たしさが薄まってしまったのだ。

    その馬鹿野郎は、な、なんと、その後輩をかばったのである。後輩のしたことは悪くないとまで言い、それどころか、わたしのことを「気がおかしい」とまで、罵倒した。後で判ったのだが、その馬鹿野郎は、その後輩のことが好きだったようだ。

    何というアホくさい話か!その馬鹿野郎は、今、何処かの病院の院長だという!あんな奴には、死んでも診察なんかしてもらいたくはない!
    
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