イジメは割に合わない・・・・・161
~ 今 日 の 雑 感 ~
イジメは割に合わない
先日、り・まんぼーさんのコメントのレスへ、わたしは、「イジメは割に合わない」ということを、教師は子供たちに教えるべきだと、書きました。
イジメには、様々な物がありますが、一番手っ取り早く、しかもかなりのダメージを相手に与えるのは、暴力でも悪口でもなく、要するに徹底無視です。
いじめられる側に、反撃を許さない「無視」ほど、卑劣で卑怯なイジメはないと思います。
暴力でしたら、警察へ通報することも出来ますし、悪口でしたら、もっとひどいやり方での仕返しだってできます。それこそ、いじめた方が、その土地にいられなくなるくらいのことも、やろうと思えば正当防衛として出来るでしょう。
よく学校で、いじめの逆転現象が起きるのは、こういう類のイジメがはびこっている場合です。実際、わたしが小学生の時、クラスでこの現象が起きました。今まで、派閥を作っていたイジメっ子のリーダーの男の子が、ある時を境にいじめられる側となり、転校を余儀なくされてしまったのです。
子供の頃は、体格も知能もほんの一、二年で劇的に変わります。つい最近まで従属的だった子供が、イジメっ子よりも身長が十センチも大きくなり、頭も進んで、いじめっ子を見下すようになるなどということは、よくある話なのです。
しかし、無視は、その反撃の機会を与えてくれませんから、いじめられた方にすれば、相当に傷つきます。その結果、この前に起きた、中央大学の教授殺害事件のようなことが起きるのです。
実は、わたしが大学生の時、ある女子学生が、友人の女子学生から、わたしたち数人の学生が、彼女の父親のことを揶揄していると、ありもしないデマを吹き込まれて、それを信じ、わたしにいきなり櫛を投げつけて来たことがありました。
「あなた達、わたしの父のことを馬鹿にしているでしょ。〇〇さんから聞いたわ!」
その女子学生は、興奮状態で手が付けられません。わたしたちは、その子の父親のことなど大して詳しく知らないのに、どうしてこういうことになるのかと、攻撃の的にされた友人たちと話し合ったところ、その子が落ち着くまで、しばらくの間「無視しよう」と、いうことになりました。
無視というイジメは、簡単にできます。その子とは、その日から口をきくことも、一緒に食事をすることもしなくなっただけで、阻害することができるのです。さすがに、意気消沈しているその子を見かねて、誤解を解こうと説得もしましたが、結局、その子は、わたしたちの悪口をでっち上げた友人の方を信じ、そのまま卒業して行きました。
これは、今までにわたしが唯一イジメらしき物に加担した経験ですが、このように、かなり実験的な要素があったケースといっても、イジメられている当人にとってみれば、辛いことだったと思います。
このように、誤解がイジメを誘発することもあるのです。それにしても、どうして悪口をでっち上げてまで、わたしたちと、その女子学生の仲を裂こうとしたのか、元凶となった女子学生の気持ちが判りません。
要するに、これも友人を盗られたくないという、その元凶女子学生の嫉妬心のなせる技だったのでしょうか?
しかし、そんなことがあったばかりに、その二人の女子学生たちは、未だに、「変わり者」のレッテルを貼られたままですが・・・・。
子供は、大人になります。しかし、大人になった時に、突然、目の前にかつてのいじめられっ子が現われて、「あなたにいじめられたことは、一生忘れない。絶対許さないから!あなたの子供に、昔のあなたの正体を教えてあげてもいいんだよ」などと罵(ののし)られることも、ないとはいえないのです。
イジメや画策の代償は、将来、必ず払わねばならないことになります。それが、嫌なら、子供の頃から、わが身の処し方に気を付けるべきです。一生は長いのですから!
<今日のおまけ>
中学生の時、英語の男性教師に、とんでもなくサディスティックな奴がいた。
授業中に指名しても答えられないと、スカートをはいたままの女子生徒に逆立ちをさせたり、クラス中の見ている前へ引き出して、後ろから顔面の形を変えたり、吹雪のベランダへ正座をさせたり、男子生徒のお尻を膝で思いっきり蹴り上げたり、両頬を両手で挟むようにひっぱたいたり、あるとあらゆる拷問的な屈辱を生徒に加えたのだ。
(因みに、わたしは、中学生の頃スカートは一切履かなかったので、常にスラックスだった)
しかも、そいつは、しゃべり方がまるで「おかま」で、身体もいつもくねくねとさせながら授業をしていた。つまり、ある種の変態だったのだと思う。
わたしは、ついに我慢の限界を超え、担任の先生にこの教師の悪行を訴えた。おそらく、他の生徒たちからも、かなりの苦情が上がっていたのだと思う。
三年生の最後の方になると、さすがに校長の方からも厳重注意があったと見えて、少しは大人しくなったものの、こんな教師に英語を教わったおかげで、わたしは、大の英語嫌いになってしまった。
それから、何年かして、新聞記者をしていたわたしが、ある中学校を訪ねると、なんと、その教師がそこにいたのである。奴は、すぐさまわたしに気付くと、そそくさと逃げ出したのである。
おそらく、何か仕返しでもされると警戒したのだろう。
呆れたトーヘンボクである。
子供は、いつか大人になる。その時に、仕返しを受けて立つ度胸がないのなら、単なる気分に任せて子供をいじめるような真似は、しないが利口というものだ!!
しかし、この中学時代の屈辱の経験談を、教育実習の場で披露したら、「そんなことありえない」と、教師たちは完全否定した。いや、そんなことが実際に起こっていたなど、信じたくないというのが本音だったのだろう。
だから、きみたちは、甘いんだ!子供たちが、本当は、どれほどの修羅場をくぐりながら日々の学校生活を送っているかが判らないから、いじめを見過ごすようなヘマをしでかすのだ。
教師たちも、一度そういう目に遭ってみれば、きっともう少しイジメ問題にも親身になれるのではないかと、思うこの頃である。
関連記事