御柱祭のいわれ・他・・・・・163
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御柱祭のいわれ・他
諏訪の御柱祭は、十二支の「寅」と「申」の年に行なわれる、国内でも有数の奇祭ですが、そのいわれは、坂上田村麻呂が、東夷(とうい)征伐に赴く際、諏訪大社に戦勝を祈ったら、霊験あらたかだったことから、そのお礼に七年ごとに神殿の造営をするようにした------と、いうところにあるのだそうです。
上諏訪から下諏訪へかけていたるところに湧き出ている温泉は、八坂刀売命(やさかとめのみこと)のお化粧の湯の滴りから出来たと伝えられているそうです。
命が、建御名方命(たてみなかたのみこと)と、夫婦喧嘩をして、下諏訪に別居した時、数々の調度品と共に、いつも愛用していた化粧の湯を綿に浸して「湯玉」としてお持ちになったのですが、下諏訪へ来るまでにほとんどこぼれてしまいました。
不思議にも、こぼれた雫がもとで、その場所から温泉が湧き出したそうで、最も湯量の豊富な「綿の湯」は、命がここに「湯玉」を置いたためだといわれています。
諏訪湖畔の「火とぼし山」というところには、あるいわれがあり、昔、一人の男が住んでいて、毎晩、湖の東端から泳いで男に会いに来る若い女のために、ともし火をかかげて待っていたのだそうです。
しかし、ある風の強い夜に、そのともし火が消えてしまい、方向を見失った女は、力尽きておぼれ死んでしまいました。それからというもの、男女の仲がうまく行きますようにと、若い恋人達が、その「火とぼし山」の観音様に願をかけるようになったということです。
八ヶ岳は、大昔、富士山よりも高かったそうです。そこで、浅間神社の富士の女神が、「富士山の方が八ヶ岳なんぞよりも高い」と、自慢したので、八ヶ岳の権現神社の男神が怒り、大喧嘩になったところへ、見かねた阿弥陀如来が仲裁に入り、「水は高い所から低いところへ流れるもの。八ヶ岳の峰から富士の山頂に大きな樋(とい)をかけ、水がどちらへ流れるかを調べてみるがよい」と、言いました。
そこで、二人の神は、阿弥陀如来の言われるように樋を掛けたところ、水は、案の定、八ヶ岳から富士山へと流れたもので、負けず嫌いの女神は、腹を立て、悔し紛れに力をこめて八ヶ岳を思いっきり蹴とばしたために、天地を揺るがす轟音と共に、八ヶ岳の山頂は、八つに裂けてしまったのだということです。
かくして、その八つの山頂は、「権現」「編笠」「旭岳」「中岳」「西岳」「阿弥陀」「横岳」「赤岳」と、呼ばれるようになったといいます。
「信濃のはなし」より
<今日のおまけ>
小さな子供って、昔話や童話を読み聞かせてもらうのが大好きですよね。
わたしの甥っ子たちも、「一寸法師」「桃太郎」「金太郎」「浦島太郎」「牛若丸」「一休さん」などが大好きでした。
しかし、彼らは、これらの話をわたしが読む前に、必ずある儀式をわたしに強要したのです。それは------。
「お歌をうたって!」------でした。
そこで、わたしは、お話を読む前に必ずその物語の主題歌を歌わねばなりません。
「一寸法師」は、「指にたりない 一寸法師 小さな体に大きな望み お椀の船に箸の櫂(かい) 京へはるばる上りゆく」
「桃太郎」は、「桃太郎さん 桃太郎さん お腰に付けたキビ団子 一つわたしに下さいな」
「金太郎」は、「マサカリ担いだ金太郎 クマに跨りお馬の稽古 ハイシどうどうハイどうどう ハイシどうどうハイどうどう」
「浦島太郎」は、「昔 昔 浦島は 助けたカメに連れられて 竜宮城へきてみれば 絵にもかけない美しさ」
「牛若丸」は、「京の五条の橋の上 大の男の弁慶が 長い薙刀(なぎなた)振り上げて 牛若めがけて斬りかかる」
「一休さん」は、皆さんよくご存じの「すき すき すき すき すきっ好き 愛してる-----一休さん」
ところが、突然、奴らは言ったのです。
「次は『かぐや姫』ね-----」
か、かぐや姫-----って、主題歌、あったっけ????
そんなもの知らんぞと、思ったわたしが、「『かぐや姫』にお歌はなかったねェ」と、言ったが、甥っ子たちは納得しない。そこで、仕方なく、その場で急きょでっち上げました。
「竹から生まれたかぐや姫~ 金銀砂子が降る夜に 天女がお船でお迎えに 月の世界へ帰ります~」
甥っ子たち、大満足!でも、今だから言います。これは、おばちゃんが作った嘘歌です。
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