日本人の謝罪は謝罪にあらず・・・・・180
~ 今 日 の 雑 感 ~
日本人の謝罪は謝罪にあらず
日本人のお詫びの仕方は、アメリカやヨーロッパの国々の人たちから見れば、まったくお詫びになっていないと、映るらしい。
日本人は、何かまずいことがあると、何を置いてもまず、「ごめんなさい」と、頭を下げる。その態度は、日本人同士には潔いとか、勇気があると思われるが、外国の人たちは、これに疑問を抱くのだという。
外国人にとってのお詫びは、謝罪であり、謝罪とは罪を告白して許しを乞うことなのだという。
だから、彼らは、めったなことでは簡単に謝らないし、謝るとしても、まずは、何故そういうことになったのかということを説明した後でなければ、頭を下げないのである。つまり、先に、自らの正当性を相手に話した上でなければ、許しを乞うことも出来ないというのが、彼らの考え方なのである。
しかし、日本は、、まったくその逆であり、もしも、詫びを入れる前に状況説明や、そうなるべき経緯などを説明しようとすれば、「言い訳はするな!」とか「男らしくない」「卑怯者」などと、集中砲火を浴びることは間違いないであろう。
そして、それが行き詰れば、自らの罪を悔いあらためることもなく、メンツの方を重んじて、いきなり自殺-----などということになってしまうのだ。これは、決して、詫びたことにはならないと、外国人が思うのも無理はない。
いや、それよりも、彼らは誤解しているのだ。日本人は、いとも簡単に頭を下げるので、謝罪を軽く見ていると思われがちだが、本当は、世界で一番謝罪が大嫌いな人間なのである。謝るくらいなら、死んだ方がましだと思っている国民なのである。それほど、謝罪という行為は、日本人のプライドを傷付けるものなのである。
だから、決して、周りの国に対しても、本気で頭を下げようとはしない。たまたま、「ごめんなさい」と、いってしまったあわてんぼうがいても、すぐに、別の人間が、「あれは、嘘でした」と、打ち消すことになるのである。
「もしも、日本人が、本気で心からの謝罪をする時は、日本国が地球上から消滅する時だ」と、いう説もあるほどである。
かつて、わたしが通っていた英会話学校で、「オリンピックで負けた日本選手は、どうして国民に向かって謝るのか?」と、いう話題が出た。アメリカ人の教師は、「アメリカでは、絶対に考えられない行為だ」と、言った。同じ教室の日本人の生徒は、「それは、国民の税金から遠征費用や練習費を頂いている以上、負けたらお詫びするのは当然だ」と、応えると、その教師は、
「詫びる必要などない。黙って、使っただけの費用を返却すればいいことだ。日本人は、詫びれば何でも済むと思っているが、それは、単に甘えでしかない」と、言う。
つまり、国への慰謝料を支払う努力をしても、なおかつそれが無理だった時、
初めて「詫びる」という行為が許されるのだというのである。
確かに、「謝罪」の「謝」は、「弁明」「気持ちを相手に届ける」という意味であるという。
本当のお詫びの仕方は、日本式のような「申し訳ありません」のあとに、償いなのか?外国のように、償いきれない場合のみに初めて「申し訳ありません」なのか、どちらが正しい謝り方なのか-----?
あなたは、どう思われますか?
<今日のおまけ>
9月19日の午後二時半ごろ、岐阜県の乗鞍スカイライン終点の畳平バスターミナル駅で、観光客が体長130センチのオスのツキノワグマに襲われ、男女九人が負傷し、そのうち四人は、顔などを引っ掻かれるなどして重傷を負い、病院へ運ばれました。
これからの時季、クマは、冬眠前のエサを求めて、山から人里近くまで降りて来ます。
わたしの家の近くの男性二人も、かつて志賀高原の山中でクマに襲われ、大けがをしました。クマは、利口な動物ですから、特に、力が弱いと思われる年配者を襲います。そして、最もダメージを与えるため、真っ先に顔面を狙うのです。
これから、山の近くを散歩する時などは、必ず、クマよけの鈴やラジオなどの音のする物を、常に携帯していることが大事だと思います。
ところで、昨夜は、非常識ブロガーのことで腹が立って、よく眠れなかった!(>_<)
まったく、あんなバカな返事をよこすような人間だとは思いもしなかった。いくら、コーチングなど学んでも、他人の気持ちを察し、思いやることが出来ないのなら、そんなものはクソの役にも立たない!
今夜は、「Dr.HOUSE 」の録画ビデオでも観て、気分を落ち着けて寝るとしよう。
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