十二歳女児の死・・・・・172
~ 今 日 の 雑 感 ~
十二歳女児の死
先日、信濃毎日新聞の夕刊の小さな囲みに、衝撃的な記事が掲載されていた。
AP 通信の配信による記事で、イエメンの西部ホデイダ州で、十二歳の女の子が、出産時に胎児と共に死亡したというのである。
わたしは、一瞬、二十一歳の間違いではないかと思ったが、「女児」と書かれているため、誤植ではないことが判った。
この女の子は、ファウジヤ・アブドラ・ユーセフちゃんといって、たった十一歳で、二十四歳の男性と結婚させられていたのだという。
彼女は、それでも、三日間、自然分娩で出産しようと苦しんだあげく、出血多量で、胎児と共に死亡したのであった。
イエメンは、アラブでも最貧国と言われている国で、地方を中心に、経済的な理由から花婿が花嫁に支払うお金を目当てに、親がまだ幼い娘を強引に結婚させてしまうというケースが後を絶たないのだという。
おそらく、彼女も、病院へ運ばれていれば、帝王切開などの手術を受けて助かったかもしれないが、そんな金銭的余裕もなく、見殺しにされたようなものである。
これは、もはや結婚とは名ばかりの、人身売買である。
インドの地方でも、女性は、一家の奴隷同然で、気に食わない嫁は、殺されても文句は言えないというような風潮がはびこっている地域があると聞く。人権団体や国が、どう規制しても、民衆の生活の中に根付いている「女性蔑視」は、そう簡単には払しょくできそうもないそうで、彼らの意識を変えるのは、至難の業だと頭を抱えているのが実態だそうだ。
中国では、一人っ子政策の結果、男児の方を選ぶ夫婦が圧倒的に多く、女児を妊娠すると、こっそりとその赤ん坊を捨ててしまうという親が大勢いるため、今、孤児院には、女の子ばかりが溢れているという話である。
そもそも、何故、世の中には、これほどまでに男女の差別がはびこっているのかといえば、男児は、女児よりも生存率が低いという原因があるらしい。日本でも、かつて、男の子が生まれると、最初の名前は女の子の名を付けることもあったり、また、捨て子は健康に育つということから、この子は、自分の家の息子ではなく捨てられていた子供を拾ったのだという意味で、生まれたばかりの赤ん坊を道端へ置き、それを近所の人に拾って来てもらうという、風習もあったと聞く。
また、男性は戦場へ駆り立てられることもあり、家庭内では女性よりも手厚く遇するという風潮も生まれ、こうした男性上位の社会が、公然と認められて来たのだとも言われているのである。
しかし、先進国について考える時、現代社会において、戦場へ行くのは何も男に限ったことではなく、医療の進歩もあり、出生児の生存率も極めて高くなっている今日、もはや、男尊女卑の思想は消滅してしかるべきものなのである。
(男性は、神聖なもので、土俵にのれるが、女性は、不浄なものだから上がることが許されないなどという風習にも、腹が立つ。女性が不浄なら、それから産まれて来た男性は、なお不浄なはずである。そもそも神聖の意味が判らない)
ましてや、男性は、女性の染色体のX X が一部欠けて出来上がった、いわば、染色体X Y の変則的なミュータントである。
その欠損染色体のミュータントが、完全染色体を持つ女性よりも優遇されるということに、わたしは、どうも納得がいかないのである。
一日でも早く、世界中の虐げられている女性たちが、この間違った現状から解放されることを願ってやまない。
<今日のおまけ>
夢で、信濃グランセローズの敗戦のワンシーンを見た。
マウンド上で、佐藤投手が、敗戦処理を任された小高投手にボールを渡し、
「ごめん。あと頼みます」というと、小高投手は、
「ああ、思いっ切り格好良く負けてやるよ」と、応えた。
そうか、グランセローズは、「敗者の美学」を、追究する球団に生まれ変わったんだな・・・・。
なんて、妙に納得してしまったところで、目が覚めた。
そうだな。それも、立派な野球道かもしれないと、自らに言い聞かせ-----また、寝た。zzz・・・
そして、本日、ついに、信濃グランセローズの地区最下位が決定しました。
もう、何にも、申せません。(;一_一)
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