上から目線のブロガーたち・・・・・273
~ 今 日 の 雑 感 ~
上から目線のブロガーたち
はるみっちゅさんのブログ記事に、「自分は物事を上から目線で見ている」なる一文があった。
そして、「自分が楽しければ人も楽しいなどということはない(しかし自分だけが楽しければいいとも思わない)」という言葉も添えられていた。
わたしも、この考えには同感である。人間は、多かれ少なかれ、物事を自分を中心とした「上から目線」で見るように出来ているのだと思う。そうでなければ、自分というものの証しを自覚できないからだ。
そして、そのことを自覚しつつブログを書くなり、日々の生活を送る人間は、まだかなりまともだと言える。
だが、自分が「上から目線」で物事を見ていることを、まったく理解していないにもかかわらず、如何にも相手の立場に立って考えてやっているという大間違いをしているブロガーも多いのである。
しかも、そういう人間は、大概において、自分が周りを楽しませてやるというような気風があるから、「自分が楽しめば、人も楽しいに違いない」と、本気で考えている訳なのだ。
でも、それは、やはり、ある種の思い上がりだと思う。たとえば、落語家やお笑い芸人たちを見ても判るように、彼らは人を楽しませ、笑わせることが商売だが、彼らの稽古や苦悩は、計り知れないほど大変なものだという。
思い通りの芸が身に付かずに、自殺をした落語家も多い。自分たちの笑いが客に受け入れられず、消えていった芸人も数知れずである。もしも、彼らが、自分も楽しみながら芸を磨けるのなら、こんな苦労を味わうはずなどないのだ。
むしろ、「自分が楽しい時は、周りは決して楽しくない。自分が辛ければ辛いほど、周囲を楽しませることが出来る」-----これが、真実なのではないかと思うのである。
だから、「わたしは、人が楽しむため、人が幸せになるために生きている」などと、言うブロガーがいると、では、「あなたは、どれほどその人たちのために命を張っているのか?」と、問いたいのである。「上から目線で語るのだから、金儲け仕事など絶対していないんだろうな?」と、訊ねたいのだ。
これは、以前わたしがある人から聞いた言葉だが、「人を諭すようなことを言うのなら、絶対、金銭を取ってはならない。金銭を取りながら、言って聞かせるようなことを語る人間を、世間は詐欺師と呼ぶのだ」と、いうことのようである。
まあ、こういう種類の理屈に当てはまらない職業も確かにあることはある。
国家資格を与えられている人たちが、その職種だといえよう。
しかし、ブログ上で、偉そうに人さまを説教するような者は、ほとんどこういう資格など有している者たちではない。資格など何も持たないくせに、経験則だけで語る不届き者も少なくないのだ。
その点、ブログは利用価値の高いアイテムである。顔が見えない分だけ、自分の偽りの姿がうまく隠せてしまうからだ。
だから、わたしは、「自分は周りの幸せのために生きている」などと臆面もなく語る人間は、ブロガーに限らず信用しないことにしている。もし、これを言いたいのなら、決して自分の利益を求めるな。もし、利益を求めるのなら、常に下手に出ていろと、言いたいのである。
<今日のおまけ>
韓国で起きたことだが、脳死の女性が5年ぶりに意識を取り戻したというニュースがあった。
この女性は、5年前、自宅のキッチンにいた時、いきなり侵入してきた不審人物に首を絞められ、その後脳死状態が続いていたのだという。
この女性は、意識を取り戻してから、催眠療法で事件当時のことを思い出し、自分の首を絞めた加害者のことを証言したところ、それは、女性のご主人の愛人で、愛人は既にご主人のもう一人の愛人を殺害した罪で、既に刑務所で服役しているのだという。つまり、この愛人は、妻である女性までも殺害しようとしていたのであった。
しかし、この妻殺害未遂の件に関して、愛人は、今も認めていないという。
それにしても、わたしが驚くのは、5年もの間脳死と言われていた女性の覚醒である。これが事実ならば、脳死が人の死であると断定することは、早計ではないのだろうか?たとえば、幼い子供の場合などは、脳死になったのちも身長も伸びるし、親にしてみれば生きている場合と何の変わりもないのだ。
もしも、その後何年かして、意識を取り戻す可能性が、たとえ1パーセントでもあるのなら、それを「死」と決め付けられるのだろうか?このニュースを知って、わたしは、ますます脳死に対して懐疑的にならざるを得ないのである。
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