裁判員は、どうやって選ぶの?・・・・・286

ちよみ

2009年12月14日 19:45

~ 今 日 の 雑 感 ~


裁判員は、どうやって選ぶの?



    12月8日、長野県内でも初めてとなる裁判員裁判が始まりました。

    この裁判員に選ばれ、実際の裁判に携わることが出来る人は、六名。その他、に補充裁判員として二名が、同じく法廷へ出ます。今回の裁判員裁判では、裁判員に選ばれたのは男性が四人、女性が二人だったそうです。

    しかし、この裁判員を選ぶ際に、どうしても疑問に思われることがあるといいます。

    それは、この六名の裁判員が選ばれる過程が、とても不透明だということなのです。まず、裁判員の候補者として無作為に選ばれた四十二名の元へ、裁判所から裁判員を決定するために必要な、裁判官の面接に来てほしいという通知が来るそうです。

    その裁判員に適しているか否かを見極めるための面接に、出かけて行くと、まず、書類での適性検査があるそうで、それを書いたのちに、裁判官面接が始まるのだそうです。

    しかし、裁判官の面接を受ける前に、書類審査の段階で落とされる人もいるのだとか。ある男性は、その日わざわざ出かけて行ったにもかかわらず、書類審査だけで裁判員不適格とされ、「採用基準が明確でない」と、憤慨していたそうです。

    それはそうです。自分の仕事を休んでまでも、国民の義務を果たそうという真摯な意気込みで、交通費をかけて裁判所まで出かけて行くのです。それなのに、書類審査のみで、理由の説明もないままに、「不適格。お帰り下さい」では、あまりに人をバカにしているというものです。

    たとえ、裁判員になどなりたくないと思っていた人にとってみても、時間をかけてそこまで出て行く訳ですから、理由の説明もなく「落選」はないと思うのです。裁判所側の説明としては、「もしも、不適格の理由を発表すれば、裁判員になりたくないと思う人が、わざとその理由を付けて、選ばれないように画策するかもしれない」ということですが、自分が選ばれなかった人にしてみれば、職業や人格を否定されたようで、気分の悪いのは当然のことです。

    また、弁護士の立場からは、「裁判所と検察側が手を組み、被告に不利な裁判員構成を目論んでいると疑われても仕方がないやり方だ」と、いう意見もあるといいます。

    裁判官、検察側、弁護側、三者三様の理由があることは判りますが、それに振り回される国民はたまったものではありません。殊に、裁判員をやりたいと思っている人にしてみれば、不適格などと言われて腹が立たない方がおかしいくらいです。

    まず、先に選ばれた四十二名の裁判員候補者は、全員裁判官の面接を受け、やりたいかやりたくないかを訊ねてから、まず、やりたいという人を先に選び、そのあとからやりたくないと思う消極派からの選出をする方がよいのではないでしょうか。

    国民の司法への協力を仰ぐというのでしたら、積極的に裁判にかかわりたいと思っている人の善意を無視するということは、如何にも失礼だと思いますし、呼びつけておいて、「あなたは必要ありませんでした」は、常識的には通用しません。交通費や日当をくれれば済む話ではないのです。

    少なくとも「落選」した人には、その訳をきっちりと教えるのが筋だと思います。

    裁判所がそういう「お上意識」を改めない限り、裁判員制度が庶民の間に真の意味で定着するのは無理ではないでしょうか。始めのうちは、裁判員も確保できるかもしれませんが、時間が経つうちに、国民の不満が募り、裁判員制度自体が維持できなくなる可能性もあるように思えます。

    

    
<今日のおまけ>

    これまでの傾向を見ると、裁判員に選ばれるのは、大体が働き盛りの30代~50代のように思えるのだが、実は、本当に裁判員をやってみたいと思っているのは、60代後半以上の高齢者の男性たちなのである。

    彼らは、既に仕事も退職しており、老後の空いた時間を、新聞を読み、テレビの時事番組を観ることにに費やしているせいもあり、政治経済や社会の動向に関しても情報量が極めて多いうえに、これまで培ってきた人生経験も豊富だという自負もあるため、裁判員などの問題にもきわめて関心が高いのである。

    しかも、自分こそが、庶民の常識を持った正統派の識者だという気持ちがあるので、若い世代が裁判員に選ばれることが面白くなくてならないのだ。

    しかし、わたしは、何故彼ら高齢者を裁判所があえて裁判員から外すのかという理由も、何となく理解出来る。中には、自分では気付かないうちに認知症になっているケースもあったり、戦前の男尊女卑教育を受けた人の中には、あからさまに「強姦なんて軽犯罪だ」などという者もいるのだから、そもそも、現在の社会通念からずれている人も多いのである。

    また、戦前教育を受けた者は、義務感が強いため、重い持病を隠してまで法廷に出てくる者まで現われては、裁判どころではなくなるという懸念もある。

    上記の記事では、「やりたい人を先に選べばいい」と書いたが、これにも、戦後教育世代という一言は、付け加えておくべきであったと思う。
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