やる気がないなら黙ってろ!・・・・・288

ちよみ

2009年12月16日 20:36

~ 今 日 の 雑 感 ~



やる気がないなら黙ってろ!
 


    わたしは、先ごろ、妙なことに気付いた。

    最近の人たちは、他人にものを頼みながら、それに対してあまりに無責任であると-----。

    わたしは、よく、他人から頼みごとをされるが、それに対して、もちろん無償で、しかも、出来るだけ迅速に要望にこたえようと頑張る。しかし、その頑張りを、頼んだ側が平然と無下にしてしまう現実があるのだ。

    中には、頼んだことすら忘れているという人間もいるくらいである。

    また、こちらが時間も手間もかけてやって差し上げたにもかかわらず、「こんな風なことを期待した訳ではない」と、いうような無礼千万な言い草を平然と吐く者さえいる。

    彼らは、いったいこちらの好意を何だと思っているのだろうか?

    「友人が必要ないというので、その資料はいらなくなった」

    そんな理屈でこちらが納得できると思っているのだろうか?頼んだ相手から報酬をもらっているのなら、その資料をどのように使ってくれても構わない。ゴミ箱に捨てようが、計算用紙に使おうが、それは依頼者の勝手だ。

    しかし、こちらが善意の無報酬で行なったことに対しては、たとえ、友人が文句を言おうが何を言おうが、きっちりと活用するというのが筋である。

    もしも、どうしても使いたくないのであれば、その友人とやらを連れて来て、わたしの前できっちりと謝罪させるべきである。他人に、タダで物を頼むということは、それ相応のリスクを覚悟するべきなのである。

    「タダほど高い物はない」ということは、そういう意味なのだ。

    わたしは、そういう心ない対応を一度されれば、決して、その人間のためには二度と協力はしないし、信用もしない。

    

    また、これは余談だが、一年ブログという物をやってみて判ったことだが、ブログは、書いている内容よりも、書き方が大事だということである。これは、ブログの体裁という意味ではない。書いている言葉の種類という意味である。

    わたしは、ブログを始めた当初は、これほどブロガーたちの中に非常識人が紛れ込んでいるとは思いもしなかったので、普通、世間的に使っている丁寧語を使用していた。

    しかし、このような言葉では、明らかになめられることが判った。そこで、こういういわゆる文語体で書くことにしたのである。本当は、もっと汚い口調で書きたいのだが、それでは、読者の方たちに失礼であると思うので、ここでとどめている。

    これからブログを始めようと思われている方がいたら、一言申し上げたい。

    ブログは、最初が肝心。甘い考えでは、犯罪すれすれの脅しをかけてくるようなブロガーたちに、太刀打ちできませんよ。
 
    ご用心あれ!   

           
<今日のおまけ>

    よく高齢者は、「戦中戦後を必死に生きて来た我々に対して、こんな仕打ちはひどすぎる」と、いう話をするが、わたしはこの言葉を聞くたびに、変なことを言うものだと、思うのだ。

    いくら世の中の体制がそうであったとしても、あの忌まわしい戦争に賛成し、悲惨な結末を作ったのは、そういう高齢者たちではなかったかと、思うのである。軍部に立て付くことは出来なかったというが、国民すべてが反旗を翻せば、軍隊の兵士はほとんどが一般国民だった訳であるから、あの馬鹿げた戦争にも突入せずに済んだはずなのである。

    今のこの希薄な時代でさえ、自民党の60年体制を覆すことが出来たではないか。かつての、国民に出来なかったはずはないのである。つまり、あの大変な時代を作ったのも、彼ら高齢者なのであり、あの時代を生きねばならなかったのは、言わば、彼ら自身が選んだ道だったはずである。

    それをいまさら、他人にひどい目にあわされながら生きてきたように言われても、われわれは、何とも言いようがないというところが、本音である。

    時代とは、その時生きている人間が作るものなのだ。誰かに、与えられるものではない。 
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