沖縄返還の密約・・・・・270
~ 今 日 の 雑 感 ~
沖縄返還の密約(ーー;)
この前、TVのサスペンスドラマ「家政婦は見た」で、日本政府がかつて、ある国との間で密約を結び、そのことを生きているうちに公にしようとする元官僚が、かつて、その密約をスクープしたももの、外務省で事務をしていた女性と情を通じてその事実を聞き出したということで、新聞社を追われた元記者の男性と再会し、記者会見を開くが、元官僚は事実を証言したにもかかわらず、「認知症老人のたわごと」と片付けられてしまう。-----そんなエピソードが放送されたが、まさか、それが現実にあったことだとは、わたしは、これまで、まったく知らなかった。
近頃、かつて自民党が行なった国策の秘密が次々に暴露され始めている。
これは、明らかに政権交代による成果だといえる。政権が別の政党に移れば、これまでなあなあで行なわれてきた不正行為が、白日のもとにさらけ出され、確実に不正行為としてあぶりだされてくるからである。新政権の手で掘り出されてからでは、逃げようもないと、かつて不正にかかわった者たちは、一斉に、自己保身のための自白行為に走り始めたものだと思われる。
いつの世も、政治家や官僚というものは、抜け目なく出来ているのだ。
今回の、沖縄返還時に、アメリカの負担金を実は日本が肩代わりしていたという国家機密にかかわり、その事実を東京地裁の法廷で認めた、元外務省アメリカ局長の吉野文六氏(91・松本市出身)も、三十七年前は、この事実を完全否定していた。そのことについて、吉野氏は、「あの当時は、検察当局が政府(自民党)の方にあった。今は、否定できない」と、語っている。
この吉野氏の嘘を、国家の嘘としてスクープした元毎日新聞記者の西山太吉さん(78)は、1972年の3月、当時、社会党だった横路孝弘衆議院議員に証拠のコピーをわたし、国会で吉野氏を追及して追い詰めたものの、西山さんに資料を提供したという当時の外務省の女性職員が警視庁に出頭したことで、彼女とともに、西山さんも国家公務員法違反の容疑で逮捕され、「ひそかに情を通じて」などと表現されたことが原因で、新聞社を辞めざるを得なくなると、実家へ戻り親族の経営する青果会社で定年まで勤めたのだった。
そして、実家に戻った西山さんは、「自分だけが糾弾されて、国家の国民に対する犯罪は不問。こんな不条理があるものか!」と、飲み歩き、競艇場に通う日々が続いたとも話す。
そして、今回の沖縄返還密約訴訟で、元アメリカ局長だった吉野文六氏は、この12月1日午後一時過ぎ、東京地裁で証言し、密約が存在し、かつての自身の証言は虚偽であったことを、西山さんの見守る前で、はっきりと認めたのであった。
そして、今回これを認めた背景には、アメリカが出して来た公開資料に、吉野氏本人が書いた「BY (ブンロク・ヨシノ)」のイニシャルがあったため、「もはや否定はできない」と、思ったのだという。
吉野氏と、西山さんは、三十七年の歳月を経て、証言終了後には恩讐を超えての再会を約束したというが、外務官僚として国家の秘密をかばい続けた吉野氏と、正義のペンをふるったばかりに女性との情事の噂まで流されて、新聞社を追われた西山さん、-----この二人の間のあまりにかけ離れた境遇は、そう簡単に修復できるものではないと思う。
なぜならば、この民主党への政権交代がなければ、吉野氏もこの証言を拒み続けたまま、秘密を墓場まで持って行ったであろうし、西山さんは、自分の正当性を一生晴らせぬまま、無念の生涯をすごす破目になったであろうからである。
西山さんは、この吉野氏の証言を、「歴史の裁断」と、称したが、正に、これこそが、
「天が暴いた真実」と、いったところであろう。しかし、それにしても、かつての新聞記者というものは、大したものである。まだ四十そこそこの青年が、国家を敵に回し、ペン一本で戦いを挑んだ訳で、今の新聞記者たちに、果たしてそのような根性があるだろうかと、怪しくなる。
そして、西山さんが、もしも、あのまま記者を続けていたら、この他にもどのようなスクープ記事を書き続けていたかと思うと、何とも残念な気持ちになるのは、わたしだけではないだろう。
それにしても、こういうかつての国家権力が隠蔽してきた嘘は、これからも暴かれ続けていくのではないかと、考えるのである。
<今日のおまけ>
クリスマスパーティーで最も盛り上がるのが、プレゼント交換ですよね。
大学の学生寮のクリスマスパーティーでは、このプレゼント交換で、スミレの花(わたしは、そう思っているのだが)をかたどったイヤリングをもらい、これはわたしにとって長い間、お気に入りの一つでした。今では、色があせてしまいましたが、それでも大事にしまってあります。
そして、以前、通っていた英会話スクールでもクリスマスパーティーは、長野市内のレストランを貸し切りにして、盛大に行われました。パーティー会場は、日本人の生徒と外国人教師、その友人、家族などで、国も人種ももはやごっちゃ混ぜ。子供もいれば大人もいて、プレゼント交換も、大騒ぎでした。
そして、わたしの持ってきたプレゼントは、何と、小学校低学年の男の子のところへ。包みを開けると、中には、ペンダント。
その途端、男の子は、正にがっかりした顔になり、「こんなのつまんない~!」
そりゃ、そうでしょう。君にペンダントは、まだ早い。そこで、わたしは、彼のそばまで行き、こう言いました。
「お母さんにあげなさい。メリー・クリスマスって言ってね。そうすれば、きっと、ゲーム・ソフトでも買ってくれるよ」
途端に、男の子の顔がニヤリと笑いました。エビで鯛を釣る-----。一つ成長した彼でした。
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