良い嫁は、悪い嫁?・・・・・310
~ 今 日 の 雑 感 ~
良い嫁は、悪い嫁?
ご近所の若いお嫁さんがぼやいていた。
「お正月のおせち料理だけれど、家で作るよりもスーパーで出来あいの物を買おうと思う」と、言ったところ、お姑さんと口論になったというのである。
お姑さん曰く、「うちは、昔からおせちは自分の家で作ることに決まっているのだから、伊達巻もお煮しめも、煮豆も、栗きんとんも全部家で作る」と、のこと。
「そんなことをしているから、毎年、余計な分まで作って、不経済なことになる。水道代もバカにならないのだから、この際、習慣などにこだわっている場合じゃァないでしょう」
お嫁さんは、そう言ったのだが、お姑さんは、頑として聞かないのだという。どうやら、家の古くからのしきたり通りにやらないと、悪い嫁だと思われる-----そんな、義務感に取り付かれているようだと、彼女は話していた。
しかし、スーパーの出来あいで経済的に節約する嫁と、余計なお金をかけながらも、家のしきたり通りに努力を惜しまない嫁、いったいどちらがいい嫁なのであろうか?
「それじゃァ、何か一品だけ、家で作ったら?」
と、わたしが言ったが、どうも、そんな物では納まりそうもないようである。
「だったら、かまぼこも、酢ダコも、自分で海へ行って材料を獲って来いっていうんだ!」
彼女の怒りは、お正月まで鎮まりそうにもなかった。
また、もう一人のお嫁さんは、洗濯のことでお姑さんとバトルになったことがあるという。
お姑さんは、洗濯は毎日欠かさずやるものだと思っていた。しかし、そのお嫁さんは、結婚前の会社員時代からの習慣で、洗濯は、土曜日にまとめて一気に洗うものだと思っているようで、そのほかの日は、絶対に洗濯機を回さないのである。
まだ、ご主人との間には子供さんがいないので、そんなことでも済むのだろうが、子供が出来たら、そんなズボラは通用しないと、お姑さんに叱られても、「その時は、その時」と、まったく意に介さないそうである。
また、そのお嫁さんは、家では決して天ぷらや揚げ物をしないのだという。
油がはねて壁を汚したりすれば、掃除に手間も時間もとられるし、水道代もかかる。それを拭いたタオルも洗濯しなければならず、洗剤も余計に必要となる。
どう考えても、不経済だし、意味がないというのだ。そのため、お風呂も浴槽にお湯をためない。
お風呂掃除に無駄な労力を使いたくはないし、ここでも、水や洗剤が必要となる。だから、ご主人と二人、いつもシャワーだけで済ましているのだという。
しかし、シャワーだけではやはり疲れは取れない。ご主人は、時々、実のご両親のいる実家へ帰り、実家の内風呂を使っているとも、お姑さんの方は話していた。
最近は、こういう、よく言えば「経済的節約主婦」が増えてきているが、どういうものなのだろうか?
それも、これも、程度ものだと思うのだが、節約もやり過ぎれば単なる怠け者と思われても仕方がないのではないだろうか?
かつて、家柄や義理の父母に徹底的に絞られ、その家のしきたり通りに教育された嫁からすれば、今の若いお嫁さんたちは、容量ばかりがいい「悪い嫁」にも見えるのだろう。しかし、若いお嫁さんからしてみれば、昔のお嫁さんたちは、「経済観念0の、口やかましい悪い嫁」に見えるのかもしれない。
どちらが、「本当の意味の良い嫁」と、いえるのだろうか?
「良い嫁」「悪い嫁」の定義も、時代によって変わって行くのかもしれない。
<今日のおまけ>
飯田市上村の有名な湯立神楽「霜月祭り」が、来年からは休止されることが決まったそうである。
この祭りは、アニメ映画「千と千尋の神隠し」にも影響を与えるなど、地元の男性たちが神に扮して、釜に煮えたぎるお湯を手で払うなどの独特の作法が評判を呼び、地域に代々伝わって来たものだが、最近は、その神に扮する男性や、食事を作るなど祭りを裏で支える女性たちの人数が減り、その存続が危惧されて来ていた。
祭りの継承者は、現在、13家族30人しかいないそうである。
地域外からのボランティアも募ったが、「土地の者でない人が祭りを行なうことに意味があるのか?」と言った反対意見も根強く、今回の休止を決める理由になったそうである。
子供たちの協力を頼むにしても、勉強や塾の都合もあり、無理やりという訳にもいかない。
このような状況が県内のあちらこちらで起こることで、ますます、地元密着意識は薄れて行くのではないかと、懸念するものである。
*** 沖田総司、坂本龍馬のストラップ、同時にゲットしました!!でも、佐幕派VS尊攘派。ちょっと、ヤバそうな雰囲気ですね。(爆)
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