< 不 思 議 な 話 >
雪の夜の足音
長野県のある村に住む若者たちは、一月も半ばとなったある日の午後、少し遅めの新年会を行なうため、村内にある唯一の洋食レストランに集まっていた。
にぎやかな会食の宴もやがてお開きになり、仲間が三々五々そのレストランをあとにして、家路についたのちも、そのレストランのオーナーと親友である一人の青年は、カウンター席に腰をかけ、ビールを飲みながら、そのオーナーと世間話の続きをしていた。
戸外は、夕方から降り始めた雪が本降りとなり、既にかなり積もっている。
カウンターの奥に立つオーナーは、そんな窓の外へ目をやると、しんしんと大雪が降り続く様子を眺めながら、青年に話しかけた。
「お前、この降りじゃ、家までの道は大変だぞ。今夜は、ここへ泊ってい行けよ」
だが、青年は、遠慮して首を振り、
「大丈夫だよ。この程度の雪なら歩いて帰れるさ」
と、半ば酔ってろれつが危うい口調で答える。すると、オーナーは、何故かやけに神妙な顔つきになると、
「こういう雪の夜は、あいつが出るかもしれないからな・・・・」
「あいつ・・・・?」
「ああ、お前も聞いたことぐらいあるだろう?足音の話--」
オーナーに言われて、青年も思い出した。大雪の夜には、何処からともなく足音が聞こえてきて、それに追いつかれたら、命をとられるという、この村に昔から伝わる冬の怪談があることを-----。
しかし、青年は、この二十一世紀に、そんな迷信を真面目に受け取る人間などいないよと、笑い飛ばし、午後十一時を過ぎた頃、一人で自宅への帰路についたのだった。
その頃、雪は、ますます激しくなり、積雪は青年の履く長靴のくるぶしのあたりを優に越えていた。
青年は、ニット帽の上からジャンパーのフードをすっぽりと被り、肩をすぼめるような体勢で、深夜の村道を急ぐ。この時刻、既に、辺りに人影はなく、自動車一台通り過ぎようとはしない。
所々にボツンと立つ街路灯のわずかな灯りだけが、激しい雪の中でにじむように、狭い村道をささやかに照らし出していた。
青年の耳に聞こえるのは、自身が踏みしめる雪のきしむ音だけである。
ザクッ、ザクッ、ザクッ・・・・・。
ところが、そのうちに、その音に、もう一つの足音らしきものがかぶさるように聞こえて来たのであった。
ザクッ、ザクッ、、ザクッ・・・・。ザクッ、ザクッ、ザクッ・・・・。
「・・・・・・?」
青年は、この奇妙な音に驚き、思わず音のする背後を振り返った。しかし、そこには、誰の姿もない。真っ暗な村道には、青年が歩いて来た長靴の足跡のほかは、何も見えない。
そこで、彼は、気を取り直して、また歩き出した。すると、やはり、背後から雪を踏みしめながら人が歩いてくる音がする。
ザクッ、ザクッ、ザクッ・・・・・。
それも、足音は、先ほどよりも明らかに近付いて来ているのだ。
青年は、気味が悪くなった。
「まさか、これは、さっきレストランのオーナーが話していた足音ではないか・・・・?」
そう考えると、急に恐ろしくなった青年は、なおも足取りを速めた。走るような勢いで雪道を行くうちに、いつしか、その足音は聞こえなくなっていた。
青年は、ようやく胸をなでおろし、息を弾ませてその場に立ち止まった。
「もう、大丈夫だな・・・・。何の音も聞こえない。きっと、あれは、おれの空耳だったんだろう。オーナーが、あんな話をするから、そんな足音が聞こえるような気がしただけなんだ・・・・。まったく、参ったぜ・・・・」
青年が、そう呟いて、再び歩き出そうとした時だった。突然、彼の耳元で、低い男の声がした。
「追いついたぞォ----!」
翌朝、村道に降り積もった雪の中にのめり込むような体勢で、息絶えた青年が倒れていた。
<今日のおまけ>
わたしの母が、道を歩いていたら、女性観光客に呼び止められ、こう訊ねられた。
「あの~、この近くにお土産屋さんか、洋品屋さんがありませんか?」
母が、何か探しものですか?-----と、訊くと、その女性は、「軍手ィ」が欲しいのだと言う。
「『軍手ィ』って、上田市でしか売っていないんじゃなかったかしら?信大の学生さんが作っているものだから、この辺りには売られていないと思いますよ」
母は、答えた。すると、女性は、テレビで「軍手ィ」を見て、一目で気に入ってしまったのだという。
「長野県へ行けば買えるんじゃないかと思って、来てみたんですけれど・・・・」
と、とても残念そうに溜息をついたそうである。
「軍手ィ」は、もはや、上田市だけの名物手袋の域を超えて、信州ブランドに昇格しているのだなァと、わたしは驚いた。