小説を書くということ・・・・・333

ちよみ

2010年01月14日 12:26

~ 今 日 の 雑 感 ~


小説を書くということ



    皆さんもご存じのように、わたしは時々下手の横好きで素人小説を書いている。

    最初の出版は、四百字詰め原稿用紙300枚ほどの歴史小説だった。これは、一時、県内のベストセラーにも入ったことがある。

    その後は、地方新聞に野球小説や時代小説なども連載していたことがあったが、このような素人同然のわたしの拙作にも、毎週のように感想を寄せて下さる読者の方々には、本当に感謝し、また、その励ましを力に、もっと面白い物を書こうという意欲もわいたのであった。

    しかし、そういう読者の中には、必ず悪意を持つ者もいて、嫌がらせの投書や誹謗中傷のうわさなどを流す者もいた。そういう悪意の人々は、大半が自分も小説家を目指しているのだが、どうしても世間に認められないとか、ただ単に、自分よりも若い者がテレビやラジオに出演するなどおこがましいと、思うような、激しい嫉妬心をもつ者たちであった。

    そんな中には、わたしが、投書の主が使おうとしていたペンネームを、無断で盗んだなどと、訳のわからないことを言ってくる人もいた。

    その頃、ご近所のある高齢の女性が病気で入院することになった。そして、その女性は、わたしの小説をいつもベッドの上で読んでいて下さったのだという。

    女性は、同室の患者さんたちにも、その本のことを話し、「身近な地域の歴史が書かれていて、テレビドラマを観ているようで、楽しいよ」と、おっしゃっておられたそうである。

    でも、女性は、それからしばらくして亡くなられた。その後、ご家族の方が、このエピソードをわたしに伝えて下さったのだった。

    その時、思った。

    大勢の読者のために書く小説もあるだろうが、たった一人の読者に楽しんで頂きたいと思って書く小説もあってよいのではないのだろうか?-----と。

    だから、わたしは、それからは、誰か一人の人が「面白い」と、思ってくれるような物語を書ければそれで充分だという気持ちで、筆をとっている。

    美辞麗句を並べる訳でもなく、文学的な比喩を多用する訳でもない。内容には、特段の含蓄もない。

    しかし、文章を読む瞬間だけでも、嫌な現実を忘れられる。

    そんな小説が書ければ、本望である。

<今日のおまけ>

    迷惑ブロガーは、どうしても、当ブログの閲覧をやめる気はないようだ。

    彼は、自分に言い訳をするための理由として、アクセス数上位200以内に入るブログのコメント回収というノルマを自らに課したようである。

    別にポータルサイト側に頼まれた訳でもなく、勝手に各ブログを訪問し、そこに書き込まれているコメントを収集しては、自分のブログに載せるのだが、不思議な趣味もあったものだ。

    それにしても、自分のブログ以外に書き込まれた他人のコメントに、どうしてそこまで執着せねばならないのか?

    ただ、手っ取り早くアクセスカウントを稼ぐためには、悪いアイデアではないかもしれない。そうは言っても、アクセス数上位200ブログの中にも、ほとんどコメントが入らないブログもあるだろう。そういう人のブログは、一切彼の記事に掲載されないとしたら、それは、片手落ちというものである。

    そこで、これは、あくまでもわたしの個人的な推測なのだが、そういうコメントが少ないブロガーのブログに、彼の協力者ブロガーがあえてコメントを書き込むのである。

    レスがあろうが無かろうが、そんなことはどうでもよいのだ。とにかく、コメントが一つ入ってさえいれば、それを自分のブログに掲載する名目が立つ。(----と、まあ、実に一方的な理屈なのだが、おそらくは、そんなところであろう)

    とはいえ、このコメントのみの掲載が、多くのナガブロガーやコメントを書き込まんとする一般読者の方たちの顰蹙を買っていることは、間違いがないようである。

    
関連記事