~ 今 日 の 雑 感 ~
バンクーバーは、大丈夫?
2006年のトリノ冬季五輪前は、テレビでは、連日日本代表選手を取り上げた報道がなされ、コマーシャルも大量に彼らを起用した「がんばれニッポン!」の映像を流し続けていた。
そのあまりの白熱ぶりに、国民は、「今度の日本勢は相当にやるらしいぞ。スノーボードでも、スピードスケートでも、モーグルでも、金メダルは確実だろう」などと、試合の前から既にメダルの数を数えるほどに勢い込んでいたものだった。
ところが、いざ、フタを開けてみれば、金メダルは、フィギュアスケートの荒川静香選手ひとり。他には、誰もメダルに手が届かないという惨敗ぶりだった。
それにしても、どうして、これほどまでに予想が覆ったのだろうか?
それは、おそらく各競技団体の過剰なまでの自信と、世界の本当の力を把握しきれていなかったという情報収集の失敗にあったものと思われる。
また、企業も自社のイメージを高めようと、代表選手たちの能力を誇張した映像を使い、CMなどで国民に伝え、それを、国民だけでなく、当の選手たちまでもが信じ込んでしまったことにも、問題があったのではないかと考える。
オリンピック前のあるトーク番組では、スノーボード・ハーフパイプの代表である男子選手が出演し、その言葉は、司会者が驚くほどに自信に満ちたものであった。
彼は、まだ十代だったが、既にその競技世界ではプロとして活躍しているそうで、自分には、もはや敵なしといった口ぶりでさえあったのである。わたしも、これを聞いていて、日本には素晴らしい選手がいるものだと感心していたが、オリンピック本番では、彼のHPの技術は、外国勢の足元にも及びはしなかったのである。
確かに、回転の速度も遅く、動きはバタバタしていて、他の外国選手たちのスマートで流れるような動きとは、まったく違うお粗末なものであった。しかし、何故、彼は、自分のこの程度の力量を、「世界に敵なし」などと、勘違いしたのであろうか?
つまりは、トリノ五輪が始まる前のワールドカップの時点から、外国勢は、オリンピック本番に向けての布石を打っていたのである。W杯では、わざと力を抜き、自分たちは日本勢に劣るという印象を日本選手たちに植え付け、彼らをまんまと欺いていたのであった。
若く、経験も浅い日本選手たちは、このW杯の記録を真面目に信じ、有頂天になってしまった。コーチや競技関係者までもが、外国選手たちの計略を見抜けなかったのである。ために、本来ならば、世界に通用さえしない粗雑な技術を、それ以上修正しようともしなかったのであった。
要するに、オリンピックの戦いは、本番の一年も前から早くも始まっていたことに、日本はまったく気付いてもいなかったのである。
そのため、今回のバンクーバーに向けて日本HP勢は、試合で場数を踏むことよりも練習を重視して強化する方針を採った。しかしながら、トリノ五輪で男子金メダリストとなったアメリカのショーン・ホワイトは、回転軸をずらしながら縦に回転する「ダブルコーク」という大技で、今季W杯初戦を見事に優勝している。
日本選手は、そんな外国勢の上を行く技術を披露しなければ、メダルになど到底指先すら届きはしないのである。
もしも、外国勢たちが、前回同様に手を抜きつつも、こうした好成績を軽々とおさめているのだとしたら、日本勢の前途はとても楽観など出来ないであろう。
最近のテレビが、もはや間近に迫ったバンクーバー冬季五輪について、これまでのように大々的な報道をしないというのは、前回の苦い経験と同じ轍(てつ)を踏みたくないという思いからなのであろうか?それとも、この不況で、そんなCMなどにかけるほどの予算が会社にないのだろうか?
しかし、こういうオリンピック報道が低迷している折である。バンクーバーは、思わぬ日本の伏兵が突然現われるには、絶好の機会なのかもしれない。長野冬季五輪の時がそうであったように、案外、名前も聞いたことがないような日本選手が、メダルを手に凱旋することも、あながち、皆無ではないと思われる。
<今日のおまけ>
わたしがこれまで懐いていた、飯山市のイメージは、明治維新まで譜代の気骨を失わず、信州の諸藩が、次々に薩摩、長州、土佐、肥後の官軍側につく中で、ただ一藩のみ、隣国長岡藩に味方し、最後まで徳川幕府のために戦ったという、飯山藩二万石の敗者の美学でした。
しかし、最近は、このイメージが変わってきました。時代の流れというのでしょうか?
奥信濃に無骨な飯山あり-----そんな、兵(つわもの)の気概を、もう一度見てみたい気がします。