奥ゆかしさは美徳か?・・・・・654

ちよみ

2010年07月09日 09:30

~ 今 日 の 雑 感 ~


奥ゆかしさは美徳か?



    「奥ゆかしさは美徳か?」

    先日、知人からこんな質問を受けた。
 
    昭和の時代には確かにそれはあっただろうが、平成の今は、必ずしもそうとは言えないと思うと、わたしは答えた。

    何故なら、奥ゆかしく相手の気持ちをおもんばかって言いたいことも言わずにいれば、今の時代そういう人は尊敬の対象ではなく、下手をしたら愚か者扱いをされてしまう可能性さえあるからだ。

    「言って後悔するなら、言わずに後悔した方が良い」というのは、半世紀も前の教訓で、今は、その全く逆だと思う。

    「言わずに後悔するなら、思い切りしゃべって周りからバカ扱いされても、その方が勝ちだ」と、いうのが現在の風潮だという。

    確かに、最近の人たちの話し方を聞いていると、正に、そのことが実感される。

    皆、一見自らを謙遜するような話し方をしてはいるが、よくよく内容を吟味してみれば、ほとんどが自慢話の類である。話し方は極力滑稽に自分を卑下したようなふりを見せてはいるが、その内実はとんでもなく高慢極まりないものなのだ。

    「あたし、この間、友だちと一緒に〇〇ホテルのレストランで食事をしたのよね。そうしたら、紅茶を頼もうとしていたのに、何故か言葉ではコーヒー下さいって言っていたらしくて、ボーイさんが持って来たコーヒーを見て、一瞬何がどうなったのか判らなくなっちゃったわ。ホント、ドジよね~」

    こんなことを言われて、「へ~、勘違いってあるものなのね」なんて、笑っている場合ではないのだ。これは、こういう言葉の裏には、「どう?わたしたちってお金持ちでしょ。あんたなんか逆立ちしたって入れないホテルでランチして来たんだから。思い切り羨ましがりなさいな」という、鼻持ちならない高慢さがたっぷりと詰まっているのである。

    しかし、そういうことを言う人の話には常に共通している内容があるもので、思い返してみれば、今日は何処そこで食事をした、昨日は何処そこへ泊った、明日はあれを買った、明後日は-----などということばかりだと気付くはずなのだ。

    ブログ読者の中にも、わたしがお昼ご飯に2000円も使う人の気がしれないと書いた記事を読みながら、それでも、あえて今日は3000円のコースを頼んだなどと偉ぶり、これ見よがしに吹聴する意地っ張りもいる。

    しかし、人間の日常なんて、普通はそんな特別な話題ばかりがある訳ではないはずで、昨日は夏野菜がたくさん手に入ったからベジタブルカレーを作ったとか、家の掃除をしていたら過ってバケツを階段から落としたとか、旦那とささいなことで喧嘩になったとか、子供が転んで膝をすりむいたとか、そういうほんのくだらないことの繰り返しなのだと思うのである。

    ところが、そういう人は、そんな下々の話題は誰のことかという調子で、これでもかというように自慢話に花を咲かせるのである。

    それも、外面は実に巧みな「奥ゆかしさ」を演じながら---。

    そして、こういうブログを書くと、この記事を読んだ意地っ張りたちは、なおさらムキになり自慢話に輪をかけて吹聴するはずである。

    たぶん、明日は見ものだと思う。

    とうとう、「来月は宇宙ステーションへ行ってランチすることになったわ」ぐらいのことまでも言い出すに違いない。(笑)

    だから、あえて言う。

    今の時代においては、奥ゆかしさが美徳として通用することはないのだ。

    もしも、自慢をしたければ、思いっきり吹聴する方が良い。誰もが大風呂敷を広げる現代では、あなたの自慢話など明日には皆忘れてしまうから----。

    
<今日のおまけ>

    「嫌なら黙っていればいい」と、いう人もいるが、そういう人に限って黙っていればいたで、「何故、言わなかったんだ」と、あとで責めるものである。

    だから、今の時代は、こちらが嫌だと思うことは嫌だとはっきり伝える方が逆に親切というものである。

    「そういう訳だから、その話題には関与したくないのだ」という意思表示がはっきりと出来るからである。

    特に、メールやブログのような顔の見えないツールでは、曖昧な答えは命取りだ。

    
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