続・人の心理の不可解さ・・・・・743

ちよみ

2010年08月23日 09:04

~ 今 日 の 雑 感 ~


続・人の心理の不可解さ




    世の中には「何で?」とか、「どうして?」と思うことがとにかく多い。

    つまり、それらのことは、自分自身の想像や経験の範疇を超えていることなのである。

    何か重大な事件が起きたりすると、人は皆、「どうして彼はそんな事件を起こしたのか?」「何故、そうしなければならなかったのか?」と、いうことを必死になって探り出し、それに納得できる結論を導き出そうとするものだ。

    容疑者の家族構成、生い立ち、学業の成績、性格、幼児期の経験、友人関係、親の教育方針などなどを事細かに調べだし分析し、「だから、こういうことをしても決して不自然ではないのだ」という結論を導き出すことで、安心するのである。

    しかし、もしも、自分には到底理解しがたい事実が目の前にあり、たとえ、それが自分には直接の関係がないことだとしても、とても自分の気持ちではその事実を受け入れがたい場合、人は、その事実を無視するようになるのだ。

    わたしにも最近、自分の中でどう考えても理解不能で納得しがたい出来事があった。

    もちろん、わたし自身には何の関係もない他人の問題ではあるが、それでも、その人とはよく会話もし、親しい友人だと思っていただけに、その人の考え方の不可解さには、正直戸惑うばかりである。

    つまり、その人の生活は、わたし自身の想像の及ぶ範疇をほとんど逸脱しているのだ。

    ある人は、こういうことを「破れかぶれ」と、呼んでいたが、実にその通りではないかと思う。

    しかし、その人はそれでも満足なのだから、それはそれで幸せなことなのだろう。他人がとやかく口を出す問題ではないのかもしれない。

    人の思いとは、かくも複雑怪奇なものなのであろうか?

    わたしも、これからはその事実だけにはあえて無関心を装って行こうと思う。

    とはいえ、これまでのように色々忌憚のない腹話が出来なくなることは如何にも残念であるが・・・・。

    
<今日のおまけ>

    いつもの共同浴場に、シャンプーやらボディーソープやら色々入ったプラスティックの籠が置き忘れてある。

    それも、かなり高級シャンプーやソープが入っているようだ。

    夏休みの旅行に来て外湯へ入った観光客の忘れ物なのだろうか?

    処分してもいいものかどうか判らず、未だに脱衣所に置きっぱなしである。
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